「Viet Nam 日誌」
ふくちゃん vol. 8-4

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第2部 旅にまつわるしょむないこと
第3章 哲学としての旅 (4)ものごいともの売り

 ヴェトナムのものごいの人たちは、なんかもう、ほんとにものごいの人たちだった。初めてものごいの人たちを目にしたぼくは、映画「大逆転」で、エディ・マーフィーが両足のない物乞いを演じているのを思い出した。映画の中のエディは、結局両足があって、自分で歩くことができたんだが、ヴェトナムのものごいの人たちは「ほんとに」両足がないのだ。両腕を失った人、両足を失った人たちがずんずん自分の方に向かってやってくる。お金欲しさのために。ぼくはもう、目を合わせることすらできない。No、Noと言って文字通り振り切るしかないのだ。
 ただ、子どもの場合はなんとなく違った。彼らにはまだ、ほんの少しだけれども、「可能性」が見える。だから、子どもたちがきても、相手の目を見て、はっきり「No」ということができる。しかし、手足を失った人たちや老人には、どうしてもそれができない。ヴェトナムに来て数少ない、つらく、心が痛む思い出だ。

 しかし、ものごいと「もの売り」の、特に子どもたちは、はっきりいってぜんぜん違っていた。無責任な言い方かもしれないが、もの売りは、自分の努力である程度はなんとかなるものだ。でも、もの乞いはそうじゃない。客との駆け引きもないし、第一、目がぜんぜん違う。もの売りの子は、いかに相手に売るか、(あえて悪い言い方をすれば)いかに相手をだますかに必死だった。しかしそれだけ、彼らは一生懸命だった。
さらに、ものごいの子どもの後ろには、ほとんどの場合、親の影があった。これも不思議なことであるのだが。ぼくが見たもの乞いのほとんどがそうだった。しかし、もの売りは違う。教会の前の絵ハガキ売りの少女をはじめ、今日の夕方に出会ったココナッツ売りの少年もそんなことはなかった。

 それにしても、ぼくは物売りの子どもに弱い。いいことなのか、悪いことなのか…。
絵ハガキ売りの子も、ココナッツ売りの子も、パターンは同じだった。ベンチに座っているとまず声をかけてくる。そして、No、No。だってほんとに買う気なんかないんだから。そして、その気がないとわかると(彼らは本当に頭がいい。完全にツボをおさえている)今度は遊びに入る。まず、いろんな会話を交わす。わあわあ言ってるうちに、仲間が2、3人集まってくる。そして、なんと不思議なことに盛り上がる。ぼくは、子どもと遊ぶのが好きなので、またこれが、すごく楽しい。ほんとに。そして、そこでさらに盛り上がるために有効なグッズが実は単語帳だった。彼らは、ほぼ例外なくぼくの単語帳に興味にを示した。まるでそれを奪い合うかのように。簡単な単語ばっかりならんでいるので、みんなわかる。そして、その単語帳を見ながら、ぼくが発音する。するとみんな「ちがうよー」「へただなあー」的な笑いが起こる。その後、彼らが発音する。当たり前のことだがうまい。だってみんなヴェトナム人だもんね。そしてそれを聞いてぼくがそれをまねして発音する。「そうそう、それでいいんだよ」「なんだできるじゃん」的雰囲気が生まれる。延々それの繰り返し。でも結構おもしろい。そして、飽きてきたら「単語帳返して」と言ってそこでおしまいとなる。
 そのうち、「ああいろいろ教えてもらったし、遊んでもらったし(いったいいくつなんだぼくは!)まあ、買ってやってもいいかな」みたいな気持ちになってくる。そして…。絵ハガキ10枚1$+5000VND。ココナッツジュースが3000VND。両方足しても日本円にしてだいたい 200円ぐらい。
 いやあ、それにしても物売りの子どもたちのパワーはすごかった。

第2部 第三章(5)へ続く
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