「Viet Nam 日誌」
ふくちゃん vol. 8-1

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第2部 旅にまつわるしょむないこと
第3章 哲学としての旅 (1) 人の写真は撮れない

 旅に出て、いろんな写真を撮った。数にして24枚撮りフィルム6本と36枚撮りが1本。カットにして約180カット。ちょっとした量だ。
 帰ってきて、いろんな写真をながめて見ると、結構おもしろい。始めのころは、やっぱり興奮してたのか飛行機のなかとかから、くだらない写真をいっぱい撮ってしまっていた。ホーチミン・シティでも。どうでもいいような風景とか、いかにも絵ハガキになりそうなものとか。果ては動物園のゾウの写真まで…。とほほ。時間順に写真を並べてみると、自分の視線のようなものが見えてきますね。
 で、写真を見てて改めて感じたことは、やっぱり人の写真はなかなか正面から撮れないということだった。まあ、こんなことは、どこの国に行っても共通していることだと思うんですが。
 
どうしてそうなったかというと、ホーチミン・シティについてまもなく、路上の散髪屋さんのおにいちゃんにレンズをむけたところ「ちょっと待って。ポーズ撮るから」みたいなしぐさをされた。それと同時に「ちゃんとお金よこせよ」みたいなポーズも。それを見たぼくは「じゃあいい」と言ってその場を立ち去った。でも、実はちょっと離れたところから、そっと写真を撮った。ああ、なんて卑怯なんだ、ぼくは。でもー、ちょっとしゃくだったから。
 あと、ニャチャンの小さな市場に行ったときも、フラッシュと同時に手を差し出された。そう、もちろん「金をよこせ」ということ。ピカッとなった瞬間「あ、やばい」と思ったんだがもう遅かった。その場は「スイマセーーーン」的になんとか逃れたが、その人たちの気持ちはすごくよくわかった。だって、ぼくがその人のごく日常の風景をカメラという道具を使っていわば「盗んで」日本へ持って帰るんだから、無理もない。

 その散髪屋の一件以来、ぼくはいちおう、その人たちから、なにか物を買って「それ買うから1枚写真撮らせてね」という具合にすることにした。そう、サイゴン大教会の前にいたポストカード売りの神様少女のBeの写真もそうやって撮らせてもらったものなのだ。 逆の立場になってみれば、無言で他人の日常の風景を写真に撮られりゃ、そりゃ気持ちよくないだろう。そんな思いは、日本人だって、ヴェトナム人だって、そして世界中の人みんな同じなんだろうな、と思った。

第2部 第三章(2)へ続く
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