「Viet Nam 日誌」
ふくちゃん vol. 5-2

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第1部 Viet Nam 日誌
第5章ニャチャンからHCMCへ (2)さよなら、そして日本へ

7月18日 金曜日  ホーチミン最終日 後半

 日本料理店「おはん」に荷物を預けさせてもらったぼくは、再び街へむかった。なつかしのDong Khoi通りを通ってキャセイ航空前へ。そう、ここはあのAnhがいつもいるところだ。しかし、彼はいなかった。しかたない。また来るか。
 そして、Hai Ba Trung通り沿い、サイゴン河近くにある飲み屋へ。ここは、ぼくが初めてビールを飲んだところだ。まだ、真っ昼間なのに大勢の人が飲んでる。ぼくがはじめてここに来たときは、注文にしかたも、お金の払いかたもわからなかった。そう、なにもわからあかった。でも、今はちゃんとサイゴンBeerをたのむこともできるし、ちゃんとお金も払うこともできる。なれたんだな。ほんのちょっとだけ。

 ビールを飲んで、河沿いの公園でしばし休憩。そういえば、3:50にわけのわからない音楽で起こされて駅でちょっと寝て以来、ぜんぜん寝てない。少しは身体を休ませないと。と、30分くらい休憩。しかし、どんどん時間はなくなっていく。
 またまた、キャセイ航空前に行く。だが、Anhはいない。また、おみやげを探しに、今度は国営デパートのRoseの店へ。ここはいちばん初めにぼくがリュックを買った店だ。

 店をのぞくと、Phoを食べてた店員さんがぼくの顔を見て"ぶっ"とふきだした。「なんだ、あんた戻ってきたの?」みたいな感じで。ぼくも笑った。そして、もう1人いた店員さんも笑った。そうしていると、店主のRoseが笑いながらやってきた。「ああ、またきたのね」みたいな感じで。ぼくは覚えていてくれてたことがすごくうれしかった。でも、食事のじゃまをするのがいやだったので、「ほかに行ってまた来るよ」と言ってほかの店に行った。
 国営デパートの2FにはRoseの店よ品ぞろえのいい店があった。店員さんの感じもよかったのだが、なぜだかまったくまけてくれなかった。ぼくはそれがいやで、そこではなにも買わずにRoseの店に戻った。そして、やっぱりRoseの店ではほんの少しだけどまけてくれた。国営デパートのどこにいっても1つ3$だったリュックを2つで5$にしてくれた。ぼくはうれしかったのでほかにもいろいろ買った。 ぼくはRoseに「ぼくのことを忘れないでね」と言って別れた。

 そのあと、またまたキャセイ航空前に。しかし、またAnhはいない。きっと今日は仕事が見つかっていそがしいんだなあ。まあいいや。また来よう。もう少し時間はあるし。あ、それに神様少女にもお別れのあいさつをしておかないと。

 ぼくは教会の方へと向かった。
 ああ、なつかしい。サイゴン大教会。考えてみればよくここへ来たもんだ。となつかしがってると、やっぱりいた。神様少女。向こうがぼくを先に見つけてよってきた。
 そして仲間も寄ってくる。また、ぼくの周りは子どものたまり場みたいになった。いろいろぼくはまた話した。「ぼくのこと覚えてる?」と聞いてくるポストカード売りの少年もいた。
 ぼくたちはしばらく、わあわあと騒いでいたが、お客さんらしき人を見つけたみたいで、みんな中央郵便局の方へと行ってしまった。神様少女をはじめみんないっちょまえの商売人なんだな。郵便局の前でみんなぼくに手招きをしたが、ぼくはその場で「バイバイ」と手を振った。そして、教会の前のみんなと別れた。

 最後にもう1度キャセイ航空の前に行った。時刻はもう17:00。いくらなんでもこれでいなかったらあきらめるしかない。これが最後だ。
 が、がしかし、Anhはいなかった。しばらくそこでたたずんでいると、どうやらぼくの顔を覚えてくれていた人がいた。ぼくは「Anhを探してしるんだ」と言った。そうすると彼は「じゃあ、ちょっと呼んできてやるよ」と言ってくれた。ぼくは「いやみんないそがしいんだからいいよ」と言ったのだが、しばらく待ってると、わらわら、わらわらとなんだか見覚えのある顔が集まってきた。

 「なんだ、お前!」
 「あーー、また戻ってきたの」
 「あら、久しぶり!」
みたいに。

 そして、Anhは現れた。なんか恥ずかしそうに、にやにやしながら。ぼくは「おーー」と声をあげ、思わず駆け寄って握手をした。たった10日ぶりなのになんだかすごくなつかしかった。そして、みんなの前でぼくはこの10間にあったことをほんの少しだけ話をした。Hueのシクロのうんちゃんともめたこと、Nha Trangのホテルでゴキブリが出たこと。そんないろんなことを。みんな、笑ってくれた。ああ、ほんと、なんというか、すごくうれしかった。

 でも、ぼくは「おはん」に荷物を取りにいかなくてはならない。そして、HCMCに来て行ったへんな絵のあるあやしげなBarにも行っておきたい。そして、さよならを言わないと。Anhはぼくと一緒にビアホイを飲みたがったが、ぼくは「ごめん、ほかに行かなければいけないとこがある」と言ってまたまた断ってしまった。「でも、ちゃんと20:00にはここに戻ってくる。そのときにみんなで一緒にビアホイを飲もう」と言ってとりあえずみんなと別れた。

 少しHCMCのおみやげ屋をながめて「おはん」へ。マスターが店が18:00に開くと言ってたので、その前後に行かないと。お店の迷惑になってしまう。
 18:00過ぎ。お店に行った。ちょうど開店したばかりでお客さんが少しずつ入り始めた時間のようだった。当然ながらお客さんはほとんど日本人。お店にはマス
ターのほかにおやじさんみたいな方もいた。マスターはすごく忙しそうだった。ぼくはビールを1本もらい丁重にお礼を言って店を後にした。結局板野さん(マスター)にはまともにお礼を言うことができなかった。
 マスター、ほんとにありがとうございました。

 大量の荷物を持って歩いていると、これまた前に会ったことのあるココナッツ売りの少年に出会った。ほんと、ヴェトナム人は日本人がめずらしいのか、商売がうまいのか、それともぼくが変わり者なのかよくわからないが、ほんとよく覚えてくれている。彼は当然「ココナッツジュース買って」となるが、残念ながらぼくはビールを飲んできたばかり。「ごめん、今はいいんだ」と断る。そうすると、ぼくの持っていたおみやげのカシューの実を欲しがった。ぼくは「仲間にみんなの一緒に食べるんだよ」と言って少しあげた。そしてぼくは少年とさよならをした。

 1週間まえに少し来ただけの街なのに、なんでこんなにたくさん「さよなら」をするんだろうか?ぼくが日本人でお金持ちで、たくさんのお金をおいていく人だからなんだろうか。ぼくにはよくわからない。

 次にまた初めにHCMCに来たときに行った、あやしい絵のあるBarへと向かった。残念ながらぼくがよく話をしてもらったキム・ホアンさんはいなかった。でも、おばちゃんがぼくのことを覚えててくれてた。正直いってちょっと残念だった。でも、おばちゃんが覚えて手くれてたことはすごくうれしかった。ぼくは、ビールを飲み、チーズに揚げたのを食べた。そして、前に来たときと同じようにぼくは日誌を書き続けた。
 その後、キャセイ航空前に行った、時刻は20:00。いよいよぼくのヴェトナム滞在も終わりに近づいてきた。

 ぼくがでかい荷物を持って行くと、案の定みんなが出迎えてくれた。ぼくが「じゃあそこのミニマートでみんなのビールを買ってくるから」と言うと、Anhはあそこはとても高い。5$もあれば十分だからから」と言った。VNDが余ってたのでぼくは60,000VNDをAnhに渡して「じゃあ申し訳ないけどこれで買ってきてよ」と言った。すると、Anhの言った通り、ビアホイを3リットルも買ってきた。
1つのグラスをみんなで回し飲みした。ビールを飲んでる途中、だれかがおせんべいみたいなものを持ってきてくれた。おいしかった。とても、すばらしい夜だった。いくらお金を出したってこんな夜を過ごすことはできなかった。路上で1つのグラスを囲みビアホイを飲みながらいろんな話をした。そのときのぼくは、もう、ほとんど現地人と化していた。ぼくの目の前を、日本人観光客らしき人が逃げるように通り過ぎて行った。みんなは「もうお前を見てもだれも日本人だとは思わないよ」と笑いながら言った。ぼくも「そうだろうな」と思いながら一緒に笑った。
 でもぼくは、「言葉が通じなくても、心は通いあえる」ということの意味が、ほんの少しだけ、それもなんとなくだけれどもわかったような気がする。そりゃ、彼らはほんとはぼくのことをどう思ってるかなんてわからない。でも、まわりでニコニコしながら話をしているみんなを見てると、なんだかすごく「ほっ」とした。そしてそこは、ぼくにとってとてもいごごちのいい空間だった。

 ぼくは、Anhとその仲間にぼくが旅行に持ってきて使わなかった蚊とり線香をトイレットペーパーをあげた。だが、さすがにトイレットペーパーはみんなあんまり欲しがらなかった。一人だけ「貰ってもいい?」と聞いてきたので「どうぞ、どうぞ」ということになった。蚊とり線香は10本入りで、きっとみんな重宝するだろうから「みんなで分けて使ってね」と言った。ぼくは「ちなみにこれは、日本で5$するんだよ!」と一発うそをかましておいた。実際は350円ぐらい。でも、いままでいろんなヴェトナム人にだまされてきたんだ!一発ぐらいのうそはいいだろう。それも、害のないうそだから。みんな、許してね。

 そうこうしているうちに、時間は8:30を過ぎた。そろそろ行かなければ。Anhはしきりに時間を気にしてくれた。最後にみんなと写真を撮って「どうもありがとう」と言った。 ぼくがすごく印象的だったのは、写真を撮ったあとカメラをウエストポーチにしまったとき、Anhが「ちゃんと鍵をかけておけよ」とぼくに注意してくれたことだった。
 そのとき、ぼくは用心のためにウエストポーチに南京錠をつけていた。でも、もし日本でそのようにして鍵をかけてしまったら「おれたちがものを盗るとでも思ってんの?」ということになるんじゃないかなあ。でも、ヴェトナムでは、いやきっと日本以外の国では違う。もちろん、盗る方も悪いけど、盗られた方も同じように悪いんだ。だから、Anhはそのことをぼくに教えてくれたのだ。

そして別れのときがきた。
 ぼくは一人一人みんなに「どうもありがとう」と言って空港へと向かった。なんだかよくわからないが、胸にこみあげてくる何かがあった。でもそれがいったい何なのか、ぼくにはよくわからなかった。でもそれは、ぼくがいままでの人生のなかであまり体験したことのないことのような感じだった。と同時にそれは、いままで幾度か経験したことのあるような、そんな不思議な感覚だった。そのようにしてぼくは、嵐のように過ごしたHCMCをあとにした。
 
空港まではAnhの友だちのバイクで向かった。夕暮れのHCMCはいつもと同じようににぎわっていた。途中、いろんなことを思い出した。ああここも通ったとか、ここで迷子になったとか、そうそうここで初めてPhoを食べたんだなあ…とか。そのようにして、見慣れた風景がどんどんぼくの目の前を過ぎていった。
 いやー、初めてこの街に来たときには、いったいどうなることかと思った。でも、いろんな人とぶつかりながら、少しずつぼくはこの街に、そしてこの国に慣れていった。
 
たった11日間で何かが変わるわけじゃない。また、ぼく自身、すごく人生観が変わったかと聞かれればそういうわけでもない。でもこの間で、少しだけ自分のなかでなにかが変わったのかもしれない。でも、自分ではそんなことわかわない。自分自身でわからないんじゃあ、きっと他人にもわからないんだろう。

 そんなことを考えているとき、空港までもう少しのところでバイクが突然止まった。なんとそのバイク 

ガス欠

だったのだ。
 まあ、最後な最後までこの国では、ほんといろんなことが起こる。うんちゃんは何度もエンジンを掛け様子を見るが、いまいち調子悪そう。ほかのバイクのうんちゃんが心配そうに声をかけてくる。しかし、ぼくのバイクのうんちゃんはひたすら「NoProblem」と答える。でも、顔の表情はかなりあせっていた。時刻はちょうど21:00くらい。まあ、フライトは23:15だから、もう少し余裕がある。ぼくはどうしようもなく、横で笑いながらながめていた。10分くらい格闘しようやく調子を取り戻したバイクは再び空港へ。21:20。無事空港へ到着。約束は4$だったがぼくはそれより少し多い50,000VNDをうんちゃんに渡した。それでも安い。タクシーだと7$か8$はとられる。でもこれでいよいよHCMCともお別れだ。「次にぼくがこの街に来るのはいつのことだろうか?」そんなことを考えながら…。

 バイクの調子はやっぱりいまいちみたいだった。でもうんちゃんは「No Problem」を繰り返していた。結局ばくはそのバイクが再び動く姿を見ることなく、うんちゃんにさよならを言うこととなった。でもうんちゃん、ちゃんと街まで帰れたのかなあ…。

 帰りもやっぱりイミグレの作業はのろかった。
 来たときは、早く街に出たかったせいもあって多少イライラしたが、帰りは「どうせ早かろうが遅かろうが同じヒコーキで帰るんだから」と腹もたたなかった。

 イミグレを通過すると、もう、ほんとにフライトを待つだけだった。あるのは待合い室とデューティーフリーだけ。おまけにそとは真っ暗(あたりまえ。まあ、明るくても特におもしろいものが見える訳じゃない)。まあすることもないからデューティーフリーをのぞいてみる。でも、ぼくが興味をそそられるようなものはぜんぜんない。あるのは、なんかキラキラした時計だとか化粧品だとかそんなもんばっかりだった。
 ただ、ぼくは大量の荷物を手に持っていた。荷物なんて全部預けたかったのだが、なぜだかリュックだけしか預かってくれなかった。そんなとき、あの、なんていうのかな、あの、荷物をカラカラと運ぶやつ(カートって言うんでしたっけ?)が24$で売ってるのを発見した。「ああ、欲しい」と思わず心が動いたが、「まあ今日1日我慢すればそんなしょちゅう使うもんじゃあないんだから」と思い買うのをやめた。

 それはそうと、ぼくは田中ちゃんの姿をずっと探していたのだが、ついに発見することはできなかった。ああ、日本の連絡先の住所くらい聞いとけばよかったなあ。ちょっと心残り。

 ゲートが開き空港内に入った。真っ暗のなか、来たときと同じバスに乗せられた。あのときは雨が降っていたが、今は降ってない。
 しかし今考えれば、初めてバスに乗ったときの、あの、なんとも言えない不安な気持ちは、何かゾクゾクするような、未知の世界へ第一歩を踏み込んだなんともいえぬ緊張感だった。それは、いままでのぼくの人生で体験したことのないものだった。そして今、ぼくは11日間の永くて短かった旅を終え日本へ帰ろうとしている。
ああ、目の前にはなつかしのほわいてぃが…。
 こいつを初めて関空で見たときは「ああ、ぼくもこれでおしまいだな」と思ったもんだ。でも今はもうぜんぜん思わない。またがんばってくれよ。
 ああ、しかし、これに乗ってまた日本に戻るのかと思うと…。

 ぼくの座席はいちばんうしろだった。ただ、窓際ではなかったのだが、3人掛けだったので(横にいた人がほかの空いてるところへ移ってくれた)足を伸ばして眠ることができた。フライト時刻は23:15。日本時間に直すと夜中の1:15。ぼくはこの時点でぼくの頭のなかの時間を日本時間に切り替えた。まず、機内で読み物が配られ、ぼくは迷わず日本語の新聞を選んだ。考えてみれば、日本語の活字を読むのはずいぶん久しぶりのことだった。ぼくは新聞をすみからすみまで読んだ。その後しばらくして飲み物のサービスが来たのでぼくはワインを1杯もらって飲んだ。いやあ、それにしても疲れていた。だって、前日は夜行列車で移動、しかも、駅に着いたのは今朝の4:00過ぎ。駅で少し眠ったあとHCMCを歩きつづけ、昼過ぎに公園で少し横になっただけ。ほとんど寝てない。日本時間2:00過ぎ…。ぼくは短い眠りについた。
 
 がさがさという騒がしい音で目が覚めた。時計を見てみると4:00過ぎ。どうやらまだ外は暗かったようだ。寝たり、起きたりしているうちに朝食が出てきた。それを食べ、また横になる。そうしているうちに徐々に外が明るくなってきた。だれも座っていないざ席から窓の下をのぞいてみると、陸地が見えた。なんとなく「ああ日本なんだな」と思った。
 6:30。ほわいてぃは無事関西空港へと降りたった。でも、ほとんど帰ってきたという実感はなかった。なにせ関空は普通の人々(という言い方もなんだが)が住んでいる陸地からはるか(?)離れた埋め立て地だし、ぼくにとって身近なところでもない。
 来たときと同じように、ゆりかもめみたいなやつに乗ってイミグレへ向かう。いやあ、それにしても日本のイミグレは本当に作業が素早い。タンソンニャット(HCMC)とは大違い。それだけ、多くの人が入ってくるということなのかなあ。まあ、ぼくが日本人で本国にかえってきただけということもあるんだろうが。とにかく素早い。しかし、その素早さに比例するように、時間の流れも…もちろん早い。

 イミグレを出て羽田への乗り継ぎへ。もうそんなに時間はなかった。とりあえずトイレに入って、こしぶくろの日本円をサイフへ移さないと何もできない。
 それにしても、今から考えるとあの関空の使用料2,650円とはいった何だったんだろう?「どうなってるんだ!」ってどなりたくなるよね。だって、ぼくのNha Trangのホテル(しかもきれいな方)の1泊分とほとんど同じ。まあ、別にいいんだけど…。ちょっと気になって。

 いくらぶつくさ言おうが、ぼくは日本へ帰ってきた。日本に帰ってきて、急に日本人っぽくなった訳ではないのだが、やっぱり日本人はいつまでたっても、どこに行っても日本人なのかなあ?のどがかわいて売店に行くと、急に緑茶が飲みたくなった。だがしかし、関空の缶入り緑茶、なんと150円もした。
 ぼくは日本人だ!でも緑茶を飲むことはできなかった。ここでは。7:15。ゲートが開き羽田行きのJAL機へと乗り込んだ。よくよく考えてみたら、今日は7月19日。なんと土曜日だったのだ。しかも、日本は3連休の初日だった。飛行機はほとんど満席だった。

 1列に10人乗れるジャンボ機は、ほぼ定刻通り関空を飛び立った。でももう、このへんでぼくの体力はほとんど限界状態。離陸したあとほとんど無意識のうちにぼくは眠っていた。うっすらとした記憶のなか、なにか飲み物を持ってきてくれるサービスがあったような気がする。が、ぜんぜんぼくは起きなかった。とにかく眠かった。ふと、気付きそとを見てみるともう伊豆半島の上あたりを飛んでいるみたいだった。
 間もなくして、東京らしき街が見えてきた。飛行機から東京の街を見るのは初めてのことだった。ああ、HCMCの何百倍もあるなあ、と思った。
 工業地帯を横目に飛行機は、するすると羽田へと降りたった。ぼくはその瞬間、初めて「ああ、帰ってきてしまったんだなあ」と感じた。

 飛行機を降りた。ぐるぐるベルトはまだ回りだしていなかった。時刻は8:50。あ、そうだ会社に電話しておこう。思い出してみると、Hueで出雲くんたちと話をして以来、ぼくはまともに日本語の会話をほとんど交わしてなかった。

 電話すると、まずスガハラ君という子が出た。「福田です」と言うと「ああ、お久しぶりです」と言ってくれた。でも、本当に久しぶりだった。そのあと、サコというどうしようもない酔いどれ(ごめんなさい)サブキャップに代わってもらった。サコは「オーーーーー」と相変わらずだった。ちなみに本人の名誉のために、そのときは酔っぱらってなかった。でも、あんまり変わらなかった。話をしているうちにぐるぐるベルトが回りだしたので、ぼくは「今から社にあがります」と言って電話を切った。

 ぼくが社にあがらなければいけない理由は3つあった。

(1)大量のおみやげのほとんどが会社のものだった
(2)大木から定期を返してもらわないと、電車賃がもったいないそして、最大の理由が
(3)とにかく、日本語で大量に話がしたかった
からだ。
 直接帰った方がはるかに早く家にたどりつくことができるのだが、以上のような理由で会社にあがらざるを得なかったのである。まあ、正直な話、ぼくにとって、会社は半分、家みたいなとこなんですけどね。
 
 ぼくは社(東京・竹橋)までどうやって行くかぜんぜん決めてなかった。たしか、都営浅草線かなんかが乗り入れしてると思ってたんだが、駅がいったいどこだかよくわからない。そんな風におろおろしてると、リムジンバスの案内があった。幸い東京駅まで行くやつがある。よし、これで東京駅まで行って、大手町まで歩こう。そして、東西線に乗り換えれば社までたどりつく。とりあえず、リムジンバスに乗ることにした。
 出発は9:25。今は9:10。よし、あと15分くらいある。そして値段表を見た。

   900円

 え、うそでしょ?まじで。
 それを見た瞬間、ぼくの金銭感覚は一気に日本モードに戻った。だってあんた、900円ってったらもう200円くらいだせばNha Trangの"コックローチ"ホテルの1泊の宿泊費じゃない。まあ、でもこんなもんなんだろう。哀しいかな日本じゃあ値切ることもできない。仕方なしにバスに乗り込んだ。

 日本のバスはヴェトナムのどのタクシーやバイクよりも郡を抜いて遅かった。なぜなら、渋滞があるからだ。バスは首都高を走っていたが、いったいこの道路のどこが高速道路なのかまったく理解できなかった。HCMCのバイクタクシーの方が100倍速くて、快適だった。

 のろのろとバスは東京駅に着いた。ぼくはサコに「10:00には社に着く」と言ったが間に合わなかった。でも八重洲南口で降ろされたので、ぼくはすごく長い距離を歩くはめになった。まあ、このルートがぼくの考えつく範囲のなかでは一番近かったんだから。

 大量の荷物を持ちながらぼくは連休に入ったばかりの東京駅の地下街を歩いていた。「なんで旅の最後がこうなの?」といまいち自分では納得がいかなかったが、現実がそうなっていたのでぼくは抗いようがなかった。ああ、こんなときにシクロがあれば2$ぐらい出すから乗せてってもらうのに(ちなみち日本だからそう思うのであって、ヴェトナムにいると絶対そんなに出さない。せいぜい5,000VNDまで。ぼくは)。
 とふらふら歩いているうちに東西線の案内が。我慢しながらさらに歩く。そして、ああやっと東西線の駅にたどりついた。もう一刻も早くこの荷物を降ろしたい。と、駅の構内へ。が、なんとそのとき、三鷹行きの電車が出て行ってしまった。ああ、なんてついてないんだ!最後の最後にこの仕打ち!ああ…。

 でも、こんなに何本も何本も電車が来るのに1本いかれたくらいでなんでこんなにくやしくなるのかなあ。まあ、疲れていたのはもちろんなんだが、やはり時間の流れ方が違うんだろうなあ、と感じた。そしてぼくは、会社へとたどりついた。

 編集局内は土曜独特のまったりとした雰囲気に包まれていた。コンコンと扉をたたいてもだれも反応してくれない。しばらくやってると、サコが編集局の扉を開けてくれた。あの、いつもの「おーーー」と言う声だった。妙になつかしかった。そして、バイト仲間がみんないた。ぼくは、仕事のじゃまにならない程度に話をしようと思っていたが、はっきりいって仕事のじゃまになっていた。

 バイトの仲間はみんな、ぼくのことを「日本人じゃない」と言ってた。いろんな話をしたが、帰ってきたばかりでぼくが興奮していたのか、結構めちゃくちゃになっていた。でもぼくは日本語でたくさん話ができることをほんとにうれしく感じていた。 そんなぼくの話をみんな興味深そうに聞いてくれた。そばにいた社員さんの笹原さんも「ふくちゃんの話をきいてると、おもしろいよ」と言ってくれた。すごくうれしかった。でも、あんまり長居をしても仕事のじゃまになる。第一、ぼくはすごく眠いはず、なんだが、社に帰ってきたそれも吹き飛んでしまったか。
 12:00を過ぎたところで会社をあとにした。
 
 ずいぶん荷物は軽くなった。ぼくはリュックを背負い、手荷物を持って神保町の駅まで歩いた。日本の日射しはヴェトナムのそれに比べるといささかゆるかった。暑さもまったくと言っていいほど感じなかった。まだなんとなく日本に帰ってきたという実感はなかった。電車に乗ってからも…。

 久しぶりに都営新宿線(京王線)に乗った。ヴェトナムのそれに比べれば、列車は清潔で車内は涼しかった。ただ、やはりみんな他人どうしというか(まあ実際他人どうしなんだけど)、みな表情は冷たいような感じがした。ぼくは何をするすることもなく過ごしたのだが、すごく新鮮に感じた。地下から地上に出たあとはほとんど外の景色をながめていた。ボーっと。とくに変わったことはなかったんだけれど…。なんとなく。

 そしてぼくは、最寄りの駅の京王多摩川の駅の改札を抜けた。ずいぶん久しぶりのことだった。13:00過ぎ。日は高かった。7月の日射しにしてはいくぶん弱く感じた。ヴェトナムのそれの強さを差し引いても。
 いつもの帰り道をいつもと同じように歩く。違うのは背中のリュックとこの2週間あまりの体験だ。だが、それがいったい何を意味しているのか、ぼくにはよくわからない。ぼくは、いままで過ごしてきて、これからも過ごしていくであろうアパートへ帰っていく、それだけのことなのだ。

 ぼくのアパートの庭先がかすかに見えた。どうやら心配していたアサガオは元気に育っているようだ。ぼくが出てきたときよりもずいぶんツルが育っている。ぼくは安心した。ああ、もしかすると、ぼくを待っていてくれてたのかなあ、と。そんな思いだった。
郵便受けにはたくさんのちらしと光熱費の請求書が入っていた。
ああ現実に頭を戻さないと、とぼくは思った。
 ぼくは、裏庭にかくしてあったカギをとり、2週間ぶりに自分の部屋の扉を開けた。
 中からは、とてもなつかしいにおいかがした。

(第1部 おしまい)


第2部 第一章 その1へ続く

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