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日本料理店「おはん」に荷物を預けさせてもらったぼくは、再び街へむかった。なつかしのDong Khoi通りを通ってキャセイ航空前へ。そう、ここはあのAnhがいつもいるところだ。しかし、彼はいなかった。しかたない。また来るか。 ビールを飲んで、河沿いの公園でしばし休憩。そういえば、3:50にわけのわからない音楽で起こされて駅でちょっと寝て以来、ぜんぜん寝てない。少しは身体を休ませないと。と、30分くらい休憩。しかし、どんどん時間はなくなっていく。 店をのぞくと、Phoを食べてた店員さんがぼくの顔を見て"ぶっ"とふきだした。「なんだ、あんた戻ってきたの?」みたいな感じで。ぼくも笑った。そして、もう1人いた店員さんも笑った。そうしていると、店主のRoseが笑いながらやってきた。「ああ、またきたのね」みたいな感じで。ぼくは覚えていてくれてたことがすごくうれしかった。でも、食事のじゃまをするのがいやだったので、「ほかに行ってまた来るよ」と言ってほかの店に行った。 そのあと、またまたキャセイ航空前に。しかし、またAnhはいない。きっと今日は仕事が見つかっていそがしいんだなあ。まあいいや。また来よう。もう少し時間はあるし。あ、それに神様少女にもお別れのあいさつをしておかないと。 ぼくは教会の方へと向かった。 最後にもう1度キャセイ航空の前に行った。時刻はもう17:00。いくらなんでもこれでいなかったらあきらめるしかない。これが最後だ。 そして、Anhは現れた。なんか恥ずかしそうに、にやにやしながら。ぼくは「おーー」と声をあげ、思わず駆け寄って握手をした。たった10日ぶりなのになんだかすごくなつかしかった。そして、みんなの前でぼくはこの10間にあったことをほんの少しだけ話をした。Hueのシクロのうんちゃんともめたこと、Nha Trangのホテルでゴキブリが出たこと。そんないろんなことを。みんな、笑ってくれた。ああ、ほんと、なんというか、すごくうれしかった。 でも、ぼくは「おはん」に荷物を取りにいかなくてはならない。そして、HCMCに来て行ったへんな絵のあるあやしげなBarにも行っておきたい。そして、さよならを言わないと。Anhはぼくと一緒にビアホイを飲みたがったが、ぼくは「ごめん、ほかに行かなければいけないとこがある」と言ってまたまた断ってしまった。「でも、ちゃんと20:00にはここに戻ってくる。そのときにみんなで一緒にビアホイを飲もう」と言ってとりあえずみんなと別れた。 少しHCMCのおみやげ屋をながめて「おはん」へ。マスターが店が18:00に開くと言ってたので、その前後に行かないと。お店の迷惑になってしまう。 大量の荷物を持って歩いていると、これまた前に会ったことのあるココナッツ売りの少年に出会った。ほんと、ヴェトナム人は日本人がめずらしいのか、商売がうまいのか、それともぼくが変わり者なのかよくわからないが、ほんとよく覚えてくれている。彼は当然「ココナッツジュース買って」となるが、残念ながらぼくはビールを飲んできたばかり。「ごめん、今はいいんだ」と断る。そうすると、ぼくの持っていたおみやげのカシューの実を欲しがった。ぼくは「仲間にみんなの一緒に食べるんだよ」と言って少しあげた。そしてぼくは少年とさよならをした。 1週間まえに少し来ただけの街なのに、なんでこんなにたくさん「さよなら」をするんだろうか?ぼくが日本人でお金持ちで、たくさんのお金をおいていく人だからなんだろうか。ぼくにはよくわからない。 次にまた初めにHCMCに来たときに行った、あやしい絵のあるBarへと向かった。残念ながらぼくがよく話をしてもらったキム・ホアンさんはいなかった。でも、おばちゃんがぼくのことを覚えててくれてた。正直いってちょっと残念だった。でも、おばちゃんが覚えて手くれてたことはすごくうれしかった。ぼくは、ビールを飲み、チーズに揚げたのを食べた。そして、前に来たときと同じようにぼくは日誌を書き続けた。 ぼくがでかい荷物を持って行くと、案の定みんなが出迎えてくれた。ぼくが「じゃあそこのミニマートでみんなのビールを買ってくるから」と言うと、Anhはあそこはとても高い。5$もあれば十分だからから」と言った。VNDが余ってたのでぼくは60,000VNDをAnhに渡して「じゃあ申し訳ないけどこれで買ってきてよ」と言った。すると、Anhの言った通り、ビアホイを3リットルも買ってきた。 ぼくは、Anhとその仲間にぼくが旅行に持ってきて使わなかった蚊とり線香をトイレットペーパーをあげた。だが、さすがにトイレットペーパーはみんなあんまり欲しがらなかった。一人だけ「貰ってもいい?」と聞いてきたので「どうぞ、どうぞ」ということになった。蚊とり線香は10本入りで、きっとみんな重宝するだろうから「みんなで分けて使ってね」と言った。ぼくは「ちなみにこれは、日本で5$するんだよ!」と一発うそをかましておいた。実際は350円ぐらい。でも、いままでいろんなヴェトナム人にだまされてきたんだ!一発ぐらいのうそはいいだろう。それも、害のないうそだから。みんな、許してね。 そうこうしているうちに、時間は8:30を過ぎた。そろそろ行かなければ。Anhはしきりに時間を気にしてくれた。最後にみんなと写真を撮って「どうもありがとう」と言った。 ぼくがすごく印象的だったのは、写真を撮ったあとカメラをウエストポーチにしまったとき、Anhが「ちゃんと鍵をかけておけよ」とぼくに注意してくれたことだった。 そして別れのときがきた。 そんなことを考えているとき、空港までもう少しのところでバイクが突然止まった。なんとそのバイク ガス欠 だったのだ。 バイクの調子はやっぱりいまいちみたいだった。でもうんちゃんは「No Problem」を繰り返していた。結局ばくはそのバイクが再び動く姿を見ることなく、うんちゃんにさよならを言うこととなった。でもうんちゃん、ちゃんと街まで帰れたのかなあ…。 帰りもやっぱりイミグレの作業はのろかった。 イミグレを通過すると、もう、ほんとにフライトを待つだけだった。あるのは待合い室とデューティーフリーだけ。おまけにそとは真っ暗(あたりまえ。まあ、明るくても特におもしろいものが見える訳じゃない)。まあすることもないからデューティーフリーをのぞいてみる。でも、ぼくが興味をそそられるようなものはぜんぜんない。あるのは、なんかキラキラした時計だとか化粧品だとかそんなもんばっかりだった。 それはそうと、ぼくは田中ちゃんの姿をずっと探していたのだが、ついに発見することはできなかった。ああ、日本の連絡先の住所くらい聞いとけばよかったなあ。ちょっと心残り。 ゲートが開き空港内に入った。真っ暗のなか、来たときと同じバスに乗せられた。あのときは雨が降っていたが、今は降ってない。 ぼくの座席はいちばんうしろだった。ただ、窓際ではなかったのだが、3人掛けだったので(横にいた人がほかの空いてるところへ移ってくれた)足を伸ばして眠ることができた。フライト時刻は23:15。日本時間に直すと夜中の1:15。ぼくはこの時点でぼくの頭のなかの時間を日本時間に切り替えた。まず、機内で読み物が配られ、ぼくは迷わず日本語の新聞を選んだ。考えてみれば、日本語の活字を読むのはずいぶん久しぶりのことだった。ぼくは新聞をすみからすみまで読んだ。その後しばらくして飲み物のサービスが来たのでぼくはワインを1杯もらって飲んだ。いやあ、それにしても疲れていた。だって、前日は夜行列車で移動、しかも、駅に着いたのは今朝の4:00過ぎ。駅で少し眠ったあとHCMCを歩きつづけ、昼過ぎに公園で少し横になっただけ。ほとんど寝てない。日本時間2:00過ぎ…。ぼくは短い眠りについた。 イミグレを出て羽田への乗り継ぎへ。もうそんなに時間はなかった。とりあえずトイレに入って、こしぶくろの日本円をサイフへ移さないと何もできない。 いくらぶつくさ言おうが、ぼくは日本へ帰ってきた。日本に帰ってきて、急に日本人っぽくなった訳ではないのだが、やっぱり日本人はいつまでたっても、どこに行っても日本人なのかなあ?のどがかわいて売店に行くと、急に緑茶が飲みたくなった。だがしかし、関空の缶入り緑茶、なんと150円もした。 1列に10人乗れるジャンボ機は、ほぼ定刻通り関空を飛び立った。でももう、このへんでぼくの体力はほとんど限界状態。離陸したあとほとんど無意識のうちにぼくは眠っていた。うっすらとした記憶のなか、なにか飲み物を持ってきてくれるサービスがあったような気がする。が、ぜんぜんぼくは起きなかった。とにかく眠かった。ふと、気付きそとを見てみるともう伊豆半島の上あたりを飛んでいるみたいだった。 飛行機を降りた。ぐるぐるベルトはまだ回りだしていなかった。時刻は8:50。あ、そうだ会社に電話しておこう。思い出してみると、Hueで出雲くんたちと話をして以来、ぼくはまともに日本語の会話をほとんど交わしてなかった。 電話すると、まずスガハラ君という子が出た。「福田です」と言うと「ああ、お久しぶりです」と言ってくれた。でも、本当に久しぶりだった。そのあと、サコというどうしようもない酔いどれ(ごめんなさい)サブキャップに代わってもらった。サコは「オーーーーー」と相変わらずだった。ちなみに本人の名誉のために、そのときは酔っぱらってなかった。でも、あんまり変わらなかった。話をしているうちにぐるぐるベルトが回りだしたので、ぼくは「今から社にあがります」と言って電話を切った。 ぼくが社にあがらなければいけない理由は3つあった。 (1)大量のおみやげのほとんどが会社のものだった 900円 え、うそでしょ?まじで。 日本のバスはヴェトナムのどのタクシーやバイクよりも郡を抜いて遅かった。なぜなら、渋滞があるからだ。バスは首都高を走っていたが、いったいこの道路のどこが高速道路なのかまったく理解できなかった。HCMCのバイクタクシーの方が100倍速くて、快適だった。 のろのろとバスは東京駅に着いた。ぼくはサコに「10:00には社に着く」と言ったが間に合わなかった。でも八重洲南口で降ろされたので、ぼくはすごく長い距離を歩くはめになった。まあ、このルートがぼくの考えつく範囲のなかでは一番近かったんだから。 大量の荷物を持ちながらぼくは連休に入ったばかりの東京駅の地下街を歩いていた。「なんで旅の最後がこうなの?」といまいち自分では納得がいかなかったが、現実がそうなっていたのでぼくは抗いようがなかった。ああ、こんなときにシクロがあれば2$ぐらい出すから乗せてってもらうのに(ちなみち日本だからそう思うのであって、ヴェトナムにいると絶対そんなに出さない。せいぜい5,000VNDまで。ぼくは)。 でも、こんなに何本も何本も電車が来るのに1本いかれたくらいでなんでこんなにくやしくなるのかなあ。まあ、疲れていたのはもちろんなんだが、やはり時間の流れ方が違うんだろうなあ、と感じた。そしてぼくは、会社へとたどりついた。 編集局内は土曜独特のまったりとした雰囲気に包まれていた。コンコンと扉をたたいてもだれも反応してくれない。しばらくやってると、サコが編集局の扉を開けてくれた。あの、いつもの「おーーー」と言う声だった。妙になつかしかった。そして、バイト仲間がみんないた。ぼくは、仕事のじゃまにならない程度に話をしようと思っていたが、はっきりいって仕事のじゃまになっていた。 バイトの仲間はみんな、ぼくのことを「日本人じゃない」と言ってた。いろんな話をしたが、帰ってきたばかりでぼくが興奮していたのか、結構めちゃくちゃになっていた。でもぼくは日本語でたくさん話ができることをほんとにうれしく感じていた。 そんなぼくの話をみんな興味深そうに聞いてくれた。そばにいた社員さんの笹原さんも「ふくちゃんの話をきいてると、おもしろいよ」と言ってくれた。すごくうれしかった。でも、あんまり長居をしても仕事のじゃまになる。第一、ぼくはすごく眠いはず、なんだが、社に帰ってきたそれも吹き飛んでしまったか。 久しぶりに都営新宿線(京王線)に乗った。ヴェトナムのそれに比べれば、列車は清潔で車内は涼しかった。ただ、やはりみんな他人どうしというか(まあ実際他人どうしなんだけど)、みな表情は冷たいような感じがした。ぼくは何をするすることもなく過ごしたのだが、すごく新鮮に感じた。地下から地上に出たあとはほとんど外の景色をながめていた。ボーっと。とくに変わったことはなかったんだけれど…。なんとなく。 そしてぼくは、最寄りの駅の京王多摩川の駅の改札を抜けた。ずいぶん久しぶりのことだった。13:00過ぎ。日は高かった。7月の日射しにしてはいくぶん弱く感じた。ヴェトナムのそれの強さを差し引いても。 ぼくのアパートの庭先がかすかに見えた。どうやら心配していたアサガオは元気に育っているようだ。ぼくが出てきたときよりもずいぶんツルが育っている。ぼくは安心した。ああ、もしかすると、ぼくを待っていてくれてたのかなあ、と。そんな思いだった。 (第1部 おしまい) |
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