「Viet Nam 日誌」
ふくちゃん vol. 5-1

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第1部 Viet Nam 日誌
第5章ニャチャンからHCMCへ (1)最後のホーチミンシティ最終日 前半

7月18日 金曜日  ホーチミン

 3:50起床。わかっていたとはいえ、ちょっと早すぎるよ。
 外はまだ真っ暗。なにやら、あやしげな音楽で起こされてしまった。

 実はぼくは昨日、寝込んだときにどうやら寝汗をかいたようで(当然だ。寝る前にビールを飲んだんだから)、ちょっと寒くてあまりよく眠れなかった。途中、何度か窓を閉めようかと考えたが、やっぱりやめた。なんとなく。そして、横をみるとまりちゃんはもう起きていた。
 まりちゃんはぼくに「どこにいくの?」と聞いた。ぼくは「まだ決まってない」と言った。そして、列車は真っ暗のSaigon駅へと入っていった。まりちゃんはぼくに「Good luck」と言って列車を降りていった。ぼくは「You too」と言った。

 だがしかし、ぼくは駅についてもすることがなかった。どうしようか?駅前には例によって「タクシー!、タクシー!」とタクシーとシクロの群れだ。ぼくは、どうしてもその群れに飛び込んでいく勇気もパワーもなかった。とりあえず駅のベンチに腰をかけた。おなかがすいていたので、昨日列車のなかでもらったカステラみたいなのと食べようと思い、ふたを開けてみたら、ぼくより先に蟻たちが朝めしを食べていた。仕方ないからぼくはありさんたちに朝ごはんを譲った。ぼくは、リュックのなかにあったウエハースをかじった。そこでまだ4:30。
 ぼくは眠ることにした。バッグと身体をワイヤー錠で結んで、しばし眠った。

 うとうととして、目がさめたら6:00だった。しかし、外はもう明るい。さあ、いつまでも寝ててもしかたない。ぼくは朝のSaigon駅をあとにして、市街地に向けて歩きはじめた。Saigon駅は市街地からみて少し西のはずれに位置している。とりあえず、ぼくがよく歩きまわっていたところまで戻ろう。

 地図を見ながら東へ歩く。市街地まではほとんど迷うことなく行けた。地図を見な
がらぼくはまず文化公園を発見することができた。が、この公園でもぼくが1週間前に歩き回っていた市街地よりずいぶん北にある。来るのも初めて。とても広くて美しい公園だ。とりあえずなかに入ってみた。ここは入場料はいらない。ただ。もしかしたら、なかに食堂みたいなのがあって、朝ごはんが食べられるかもしれない。しかし、その期待は見事に裏切られた。そのかわり公園にはスポーツにいそしむ無数に市民の姿を見ることができた。公園のほとんどの部分は芝でおおわれていて、野球やサッカーのできるような広場はなかった。そのせいか、バトミントン派が大多数だった。あとは、ラジオ体操(まあ、正確にはラジオじゃないんだけど…)軍団。しかしこの大多数のバトミントン派。みんなめちゃくちゃうまい。見てけっこう感動したのは、おじちゃん1人対おばちゃん2人のバトミントン対決だった。おじちゃんはかなり的確に2人のおばちゃんに平等に羽を返していた。そして2人のおばちゃんは決して格好はよくなかったが、これまためちゃめちゃうまかった。ぼくが相手だったら絶対負けてしまう。
そんな公園をあとにさらに東へ。ぼくは街へ向かう手がかりと統一会堂をめざしてさらに歩いた。そのときぼくは、なんとなく見慣れた建物を発見した。

 「あ、ここはぼくが初めてPhoを食べ屋台 じゃないか!」

なかをのぞくと、なんとおばちゃんがぼくのことを覚えててくれた。いやーと手を振ってなかへ小走りで向かう。ああ、間違いない。そうだここだ。ぼくはとてもうれしかった。でも結局、その学校みたいな、教会みたいな建物はなんだかわからなかった。
 ぼくは、初めて食べたときと同じPhoを食べた。でもさすがに初めて食べたときの感動はなかった。この10日間でちょっとだけ舌が肥えたのかなあ。Phoを食べ終えみんなにさよならを言って店を出てきた。「お昼になったらまたおいで」と言われた。でもいくらなんでも朝も昼もはちょっと…。でも、Phoはおいしい。

 朝のHCMCを歩いて感じたことは、まあ、みんな朝が早い。さっき学校の前を通ったのだが、7:00にはもうみんな登校している。通勤ラッシュのピークはその少し前の6:45くらいか?とにかくみんな早起き。だから1日が長い。だからみんな昼寝をするんだな。

 7:15。さらに統一会堂めざし歩く。でも実はPhoを食べたところのすぐ近くだった。その前に、昨日切れたカメラの電池を買わないと。街角のカメラ屋さんに入って聞いてみる。「すいませーん。これと同じカメラの電池ありますか?」すると、アオザイを着た女の店員さんがおそるおそる電池を持ってきた。その表情ははっきりいって不安そうだった。大丈夫かなあ。カメラに入れて試してみる。でも、ちゃんと動いた。「うん、OK」これで、カメラが復活。さあ、統一会堂見学に行こう。 統一会堂は、ヴェトナム戦争時代、南ヴェトナムの大統領官邸として使用された建物で、サイゴン陥落のとき、無血入城で戦車が入ってくる映像で有名な建物である。現在は歴史的、文化てきに貴重な建物として、国内外多くの人たちが見学できるようになっている。

 55,000VNDのチケットを買ってなかへ。会堂の正面には何人かのインフォメーションの人がいた。ぼくは当然1人だったのだが、ちゃんと日本語のガイドの人(女の人)がついてくれた。やや、たどたどしい日本語だったが、よくわかった。ちなみに英語もできるとのこと。英語は流暢で発音もきれいだったがちょっと早口で聞き取りにくかった。
 会堂のなかははっきりいって、「すごい」ということはなかった。いろいろ見ていくうちに、だれだか偉い人の「奥さん以外に好きになった人」の肖像画みたいなものがあった。ぼくは「ああ。愛人だね」と言った。ガイドさんもぼくの日本語の意味がわかったみたいで笑っていた。ぼくはさらに、「Aijinってのはね、古い日本語でNigou-sanっていうんだよ」と教えた。いらんこと教えなくてもいいのにね。まあいいや。あと、ぼくは動物が好きで、いちいち池においてある置物なんかみながら「ああ、これはかえるだな」とか「これはぞうだ」とかいちいちいぶやいていた。そして、いろいろ見学している途中でひょうのはくせいを見つけたぼくは。「ああこれはひょうやな」といぶやいた。そのときガイドさんは「コノドウブツハ、ニホンゴデ、ナントイイマスカ?」と聞いてきたので、ぼくは「ヒョウだ」と言った。しかし、ガイドさんは「ヒョウ」という発音がなかなかうまくできなかった。どうしても「ほう」とか「ふおう」になってしまってなかなか「ヒョウ」と発音できない。ちょうどぼくがヴェトナム語のHueを発音できないのと同じだ。なにせ、Hueがやっと通じるようになったのがHueを出たころなんだから。それだけ日本語とヴェトナム語ほ発音は違うのだ。

 いろいろ見学に最後にヴェトナム戦争のビデオを見せてもらっておしまい。ビデオはぼくがテレビから録画したNHKの「映像の世紀」に使われていたものが多かった。ぼくはこの「映像の世紀」という番組からはかりしれない影響を受けた。NHKさんありがとう(受信料は払ってないけど…)。
 
 次に革命博物館へ行った。中には戦車やら戦闘機やらヴェトナム戦争のときに使われたものや写真が多数展示してあった。でも展示物よりぼくがおもしろいなと感じたのは、ツアーできている日本人の人たちだった。
 何だありゃ?10人くらいがかたまってガイドさんの話を聞いてる。よそ見をしたり、ふらふら別の展示物を見る者もいない。おじさんの集団だったのだが、自分の頭でモノゴトを考えることを忘れてしまってるというか、すごく奇異にぼくの目には映った。やばいなこれはとなんとなく思った。だったそんなことしてる国の人ぼくは見たことがない。「個人」の「個」のかけらすら見えない。おかしなもんだ。でも、そう言ってるぼくも日本人なんだから…。

 革命博物館を出て市場へ。みんなへのお土産を買ってかえらないといけない。 1週間ぶりにHCMCを歩くが、この前と違い街がよくわかる(あたり前ですね)。「ああここで迷子になったな」とか「ああ、ここも来た。なつかしいな」とか。なんとなく「勝手知ったる街」みたいな感じ。特にDung khoi通り沿いはいつも歩いていたのでその思いは強い。

 10:30。みんなへのお土産を買うため市場へ。ベンタイン市場とその周辺を散歩。市場の手前まではきたことがあったが、じっくり歩いて見るのは今回が初めてだった。市場とその周辺には実にたくさんのいろいろな店があった。とりあえずぼくは、倉重さんのコーヒー豆を買いに市場のなかへと入っていった。
 ベンタイン市場はHCMC最大の市場である。さすがいでかい。ただ、国営デパートやDam市場(Nha Trang)と違ったのは2Fがなかったということだ。それらの市場の売り場のパターンは1Fが主に食料品や電化製品、そして2Fが衣類というパターンだった。でも、この市場もちゃんと売り場の住み分けはできていた。
 いろいろ迷った末、ぼくは市場の正面から入って右手のある店でおみやげを買うことにした。まず、コーヒー豆。ぼくはコーヒーを飲まないので、どんなのがいいのかよくわからない。とりあえず値段とか、香りとかまあまあのやつを買った。1キロで100000VND。まあ、こんなもんかなあ、と。あとは会社のみんなにおみやげを買って帰らないと。もうめんどくさかったので、いっぱんにその店で買うことにした。たくさん買えばまけてくれるだろう。その店には、カシュの実、マンゴー、バナナチップスなどいろんなお菓子みたいなのが売ってた。どれどれと味見をしていると、日本人の女の子が1人やってきた。彼女は田中ちゃんといって、なにやら北京に留学し勉強しているとか。九州の子らしく、博多弁まじりだった。ほんの少しの時間だったがぼくたちはいろいろ話をした。そして、彼女も今日の夜のフライトでヴェトナムを離れるとのことだった。ただし、ぼくは関西空港行きで田中ちゃんはソウル行きの便だそうだ。「じゃあ空港でまた会えるからそんとき話をしよう」といって別れた。だが、結局空港で会うことはできなかった。ちょっとこころ残りだ。
 そのとき、田中ちゃんのとなりには、1人の女の子がいた。ぼくは一瞬「姉妹かな」と思ったが聞いてみるとヴェトナム人の女の子だった。年はだいたい12、 3才くらい。どうやらそのへんのお店の子らしい。それにしてもこの子、年中観光客を相手にしているせいか、めちゃくちゃ日本語がうまかった。「なんでそんなに日本語がうまいんだ?」と尋ねたところ「自分で勉強した」とのこと。すごい。きっと将来はお金持ちになるんだろうな。とにかくすごく頭の切れる子だった。ちなみに「ぼくのガールフレンドになってよ」といったところ彼女はやや照れながら、きっぱり断られた。トホホ。

 とにかく、そこでいろいろおみやげを買って、さあ、料金交渉。相手は220,000VNDを主張。ぼくは200,000VND。たがいにゆずらない。さあどうしよう。こうちゃく状態になったそのときぼくが「じゃあ20$でどう?」というとあっさりOKとなった。やっぱVNDよりUS$の方がやっぱりいいんだ。実際両替するときだってそうだもんね。まあとりあえず商談成立。

 その後、商売上手の女の子が「Tシャツが2着で3$の店を知ってる」というのでそこへ行ってみることにした。だいたい買うTシャツは決めていたのであとは料金交渉だけ。ぼくはそこで、共産主義バリバリのTシャツ2着(当然自分のではない)と刺繍のTシャツの3着を買った。さすがに刺繍のはほんのちょっとだけ高い。でも3着で6$もしくは70,000VND。VNDがややあまっていたぼくは、Tシャツ3着70000VNDでゲット。なかなかいい買い物だった。次になにか買うか?と聞かれ「もう何も買わない」と言って商売上手の女の子と別れた。

 その時点でぼくの両手にはたくさんの荷物があった。そして、肩にはリュック。ああ、重い。時間はまだ11:30。でも、はっきりいってこんなたくさんの荷物、これから1日持ち歩くのは無理だ。ああ、どうしよう。ちょと早めに買い物をしすぎた。でも早めに買っとかないと、万が一忘れるとえらいことになる。それに、時間ギリギリになっていそいそと買い物をするのもいやだったし…。とにかく、荷物を持ち歩くのは無理。ガイドブックをひろげて日本語のできそうな人のいるところを探し出し、コインロッカーか、それに類したサービスがホテルにあるかどうかを聞いてみよう。しかし、路上にすわりこんでガイドブックをめっくてみてもそれらしきものはない。ああこまったなあ、とそのとき。

 通りをのぞいてみると、なにやら日本料理店のようなものがあった。とりあえずぼくはへとへとと歩いていった。店の前の通りにはマスターらしき人がいて、お客さんを送っているところだった。たぶん日本人だなあと思いつつ、声をかけてみた。

「can you speak Japanese?」
「ああ、私日本人です」
 と日本語の返事がかえってきた。
 
 その人はHCMCで日本料理店「おはん」のマスター板野さんという方だった。ぼくは「あのー…。この辺のホテルかなんかで荷物を預かってくれるようなサービスはないですかねえ…。」と尋ねてみる。
「いやあ、たぶんないですねえ。でも…、もしよろしければうちの店で預からせても
らってもかまわないですよ」とマスター。
「いや、いや、そんな。迷惑になりますからだめですよ。もし、預かっていただけるなら、1$でも2$でもいいですから…」とぼく。
「いやいや、そんなのいいですよ。その辺は同じ日本人ですから」
 ぼくはマスターの好意に甘えさせてもらい、荷物を「おはん」に預けさせてもらった。マスターはほんとに腰の低いすごく感じのいい方だった。
 そしてぼくは再びHCMCの街中へと向かった。


第五章 その2へ続く
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