「Viet Nam 日誌」
ふくちゃん vol. 4-4

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第1部 Viet Nam 日誌
第4章 光と風の街・ニャチャン (4)ニャチャンからホーチミンへ

7月17日 木曜日 曇りときどき晴れ 曇り ニャチャン

 7:30起床。また、昨日同様遅目めの起床。まあ、昨日の夜はちょっと遅かったからね。しかも今日もくもり。ニャチャンへ来て結局からっと晴れたのは。あの2日目のくそ暑いなかちゃりんこで走り回ってた、あの1日だけ。ああ、くやしい。
 今日は特にこれといってするべきことはない。ただ、18:00の列車に遅れなければ。
 とりあえず朝ごはん。Hai Yenホテルの周辺は屋台がないので、またビーチ沿いのレストランへ。サンドウィッチとフルーツジュース。サンドウィッチはそれほどおいしくないが、ジュースはすごく濃くておいしい。
 朝ごはんを食べ、ああ、どうしようかなと考える。チェックアウトの時間は12:00。結局あと2時間くらいしかないので、ホテルの戻ることにした。テレビを見ながらチェックアウトの準備をする。もう、ホテルを出るとあと2晩はベッドで眠ることはできない。体力を残しておかないと。と、なんとなくゆっくりする。
 11:50。荷物をまとめチェックアウト。あ、その前にVNDをもう少し用意しておかないと。昼すぎから市場行くのに、ぼくの手元には5、6000D(60円)ぐらいしかなかった。これじゃあ、いざ欲しいものがあっても買えないし、米ドル払いだと少し(1割くらい)損する。
 受付の奥にあるExchangeカウンターへ。ところが、今の時間はクローズタイムだとか。あーしまった。もうちょっと早く替えておけばよかった。まあ、どっか別の場所を見つけて両替すりしかない。そして、受付へ。
 ヴェトナムのたいていのホテルは12:00までにチェックアウトすればOKで、その時間を越えるとお金をとられる仕組みになっている。ぼくは12:00ギリギリに行った。そうすると、なんと受付まで「ごめん、今クローズ中なの、また14:00になったら来てね。お金はいいから」と言われてしまった。

「もっと早く言ってくれればよかったのに!」

 結局ぼくはまた2時間どっかでつぶすこととなった。
 旅をしていると、ほんの少しづつ、その国のいろんなことがわかってくる。 いままででわかったことは、基本的にヴェトナム人は、朝早く(まあ6時くらいかなあ)に起きて仕事をし、11:00くらい(多分)にお昼ごはんを食べて、昼寝をする。そして、14:00すぎにまた起きて、ちょっとだけ働いく。それで、夜になるとビアホイを飲んでおしまい。たぶん、こんな感じなんじゃないかなあ。
 つまり、11:00から14:00までの間は、ほとんどみんな寝てる。その証拠に12:00すぎのニャチャンビーチ沿いの道路は閑散として、人通りがほとんどなかった。 もし、この事実がもっと早くわかっていれば、朝からビーチへ行くなり、早く終わるやつかあれば、ボートトリップへ行くなりできたのに…。しかし、すべて「後の祭り」。でもこれが独り旅の良さなのかもしれないなと感じた。ことばもぜんぜん通じない。片言の英語だけ。話相手もいない。でも、だからこそ、得るものもたくさんあったような、そんな気がした。

 仕方なしにぼくは海岸沿いの道路を歩いた。浜辺は日射しがきつくてとてもじゃないが、歩けない。がしかし、さっきも書いたとおり、あたりは閑散。唯一あるおみやげやさんまで閉ざされてる。ああ、だめだ。今から自転車を借りてどっかに行くには時間がなさすぎるし。もう、行くとこもない。海パンをはいてビーチにでてもすぐ戻ってこなければならない。ああ、八方ふさがりだ。とにかく、ホテルに戻ろう。そうすれば部屋でゆっくりすることもできるし、テレビを見ることもできる。
 ホテルに戻ったぼくは、なぜかアイスクリームが食べたかったのだが、レストランにアイスはなかった。ペプシを飲みながらたまっている日誌を書く。
 そして、14:00になった。今度こそチェックアウトだ。

 今度は大丈夫だった。その前にまた両替のカウンターにいった。すると「ちょっと今お金がないんで、10分くらい待って」と言われた。「うん、いいよ」と言ってその間にチェックアウト。支払はカードでした。別に現金がなかったわけではないのだが、ヴェトナムで一度カードを使いたかった、それだけのことだった。
 Hai YenホテルはBigでGrateなホテルだった。すごく快適で「コックローチホテル」の100倍快適だった。しかし、そんなHai Yenにもクレジットカードの磁気を読みとる装置はなかった。どうするのかというと、ガリバンみたいなのにカードを置き、カードの凹凸を利用してぼくのカードの番号を読みとるという方法だった。きっとそれをどっかのcomputer systemのあるところへ持っていって支払をするんだろう。
 うまくできてるんだなあ。世の中は。また一つ勉強になった。
 支払いを終え、両替を済ませ、Hai Yenホテルを後に。さあ、市場へ行こう!

 Cho Dam(ダム市場)をめざしぼくはとぼとぼとリュックを背負い歩いていた。時間もいっぱいあったし、シクロやバイクを使うつもりはぜんぜんなかった。そんなとき、またもや、一人の青年が声をかけてきた。

「Hi Friend !」

 ああ、なんだ。バイクのうんちゃんか。よくあることだ。無視無視。するとうんちゃん、
「あんた、昨日(正確にはおととい)Hong Chongで会ったよね。おれおぼえてるよ。あんた、岬でビールを飲んでただろ。そんでもって、今日の夕方列車でサイゴンまで行くんだろ」。彼の言ってることはすべてあたっていた。「おれ、おぼえてるよ」と彼は言った。その通りだった。じゃあ、きっとHong Chongでビールを飲みながら話したあんちゃんなんだ。
 「これからどこへ行くんだ?」と聞かれ「うーん、ちょっと市場へ行こうと思ってるんだけど…」と答える。すると、「Damよりもっとチープな市場があるからそっちの方がきっといいよ」と。そうかなあ。まあ、時間もあるし、そうするか、とちいさな市場(もう名前もわからない)へ。ガイトブックを見せ場所を説明してもらうと、ちゃんと"市場"と書いてあった。「で、いくらで行ってくれるの?」と聞く。「1$」「いやあ、それなやいい」とぼく。なぜなら、そんなに遠いところではないから。「5,000Dなら乗っていく。それでなかったら歩いて行く」Yes, Noをはっきり言わなければ、まず、相手になめられてしまう。「うーん。じゃあ、5,000Dでいいよ」とうんちゃん。彼はOKしてくれた。せっかくぼくのことをおぼえてくれてたし…。とバイクで小さな市場へ向かった。
 途中、ぼくの帽子がとばされてしまった。
 「あ、ちょっと待って」とバイクを止め帽子を拾いにいく。うんちゃんも笑ってたし、街角でお茶を飲んでいた人たちも笑っていた。なんだか、楽しかった。
 市場に着き、ぼくはうんちゃんにお礼を言って、握手して別れた。「金よこせ」なんてぜんぜん言わなかった。

 彼に教えてもらった市場はたしかにチープだった…。と思う。しかし、ほんとはどうだかわからなかった。というのも、売ってるものがほとんど生の食べ物ばかりだった。果物、にわとり、カモ、お米…ちょっとこれは日本に持って帰れない。ああ、だめだ。買えるものがぜんぜんない。やっぱり、Cho Damへ行こう。でもこの市場、なかなかおもしろかった。ほんと、ニャチャンの普通の人たちの市場だった。そこらへんを歩いてると、日本人がめずらしいのかみんな声をかけてきて、笑う。でもぜんぜん不愉快な笑いじゃない。からかってる笑いとそうでない笑いは、ほんと、すぐにわかるもんだ。
 今度こそ、と歩いてとぼとぼCho Damへ。実はぼくの目的はハンモックだった。ハンモックなんて、まあ日本じゃあ手に入らないだろう。おととい目にしたときからなんとなく目をつけていたのだった。
 Cho Damのなかにある雑貨店の軒。ぼくはそこでハンモックを買うことにした。むこうのいい値は3$だった。でも、絶対いい値では買わない。これ、ヴェトナムの買い物の常識。
 そこでぼくは、友だち、まっちゃんの一人娘(今んとこは)、佳奈ちゃん(といっても生まれたばかり)の分とぼくの分ハンモックを買うことにした。向こうは3$と2$(佳奈ちゃんのはちっちゃいから)を主張。「うーん。じゃあ2つで4$にしてよ」向こうは首を横に振る。「じゃあ、となりの店で買うから。さよなら」そこには、同じような店が3、4軒あった。
「じゃあいいよ。2つで4$ね」これで商談成立。
 しめて4$。もっとねばればもう少し安くなったとは思うが、まあ、そんな高い買い物じゃないし。

 あと、会社の人にヴェトナムコーヒーをいれるやつを買おうと思ってたんだった。とりあえず、その店はやめてとなりの店へ。というのは、となりの店にいた女の子がかわいかったから、ただそれでけの理由だった。やっぱ、美人は得すんのかなあ、なんて。
 アルミのコーヒーフィルターみたいなのとコーヒーカップのセット。彼女の主張は35,000D。まあ、この値段では買えない。ぼくの提示額は30,000D。で、結局33,000Dで買った。でも、この買い物でようやくヴェトナムでの買い物の仕方がわかったような気がした。それは、次のようなことだ。
 ヴェトナムでの買い物は、まずこっちが値段を聞く。でもその値段では買わない。そのうち、相手が買い値を聞いてくる。そして、いい値と買い値のちょうど真ん中くらいで値段が決まることが多い。
 ということは、最大の問題はこちらがいくらの買い値を提示するかということだ。ネゴ(交渉)に入った時点でもうこちらが、その商品を買い気ありという意志表示をしていることになる。提示額が高ければ、相手は足元をみてくるし、逆にあまりにも低ければ「こいつは相場を知らない」と認識され、交渉にすら入ることができない。なんでもかんでも安く買おうと思って、低額の金額を提示することははっきりいって勇気がいる。さらに、正確な相場を知るには、これはもう信頼できるヴェトナム人に聞くか、日本人にだいたいその商品をいくらくらいで買ったか(もちろんバカなやつはだめ)聞くしかない。あとは、自分で店をまわって相場をたしかめるしかない。が、これにはちょっと時間がかかる。
 そこで相場を示すものとして強力な見方が、実はガイドブックなのだ。
 店でコーヒー入れを見ているとき、だいたい相場の倍くらいの値段をふっかけられた。そのとき「ねえ、それと同じもの、このガイドブックには○○Dって書いてあるんだけど」といって切り出すと、すぐ「○○Dでいいよ」ときた。
そう、ヴェトナムでは、いかに相場を知って、うまくこちらの理想に値段にもっていくか、これが買い物の醍醐味なのだ。

 そうして、コーヒー入れを買い、もういいなと思っていたとき、そのとなりの雑貨屋さんのおねえさん(市場の人の80%以上は女性だった)に「なんでうちの店で買い物してくれないの」とかみつかれた。ちなみにその女性は、ぼくの大学時代の友人の高野亜紀子さんという人にそっくりだった。彼女は商売上手のようで、次々にぼくに商品を勧めた。しかし、ぼくはそれを断った。だって、スプーンやたわし、最後には包丁みたいなのまで…いや、いいですといって断った。

 17:00。市場で買い物を終え途中、途中で写真をとりながらニャチャンの駅へと向かった。フエのときはギリギリでたいへんな思いをしたので、今度は余裕をもって駅へ行かないと。なんとなく早足で駅へと急ぐ。市場から駅までは約1・弱。まあ、そんなに遠い距離ではない。そういえば、昼はペプシだけでしのいだんだったんだ。すごい空腹。で、17:30、駅に到着。駅前には屋台があった。おもわずPhoGaを食べる。が、このPho。めちゃめちゃおいしかった。お腹がすいていたせいもあるのだろうが。実はぼく、めんが平べったいきしめんみたいなPhoを食べたいとずっと思っていた。しかし、今までそのめんにあたったことはなかった。が、今回初めてそのきしめんにたいなめんのPhoを食べることができた。そこは駅前の食堂だたので、おっさんもおばちゃんもいそがしそうに働いていた。おばちゃんに「すごくおいしかった」といって、駅の構内へ。

 夕暮れのニャチャン駅はたくさんの人でごったがえしていた。そして、みないきいきとした表情をしていた。売店には来たときと同じように商品があふれ、なんだか楽しそうな音楽まで流れていた。それにしてもニャチャンはほんとにいい街だった。あと1週間くらいここにいたかったが、そういうわけにもいかなかった。18日の夜には帰らなければならない。そのニャチャン駅の風景をカメラに収めようとしたそのとき

  「あ、電池切れ」

 ありゃー。しかしもう遅い。駅のなかでは食べ物はいっぱい売ってるけど、さすがにカメラの電池までは売ってない。ああ、けちらずちゃんと予備の電池を用意しとくんだった。と思いつつニャチャン駅の風景を自分の目に焼き付けた。

 ニャチャン駅の構内でぼくは、自分の乗り込む車両を探していた。フエからニャチャンへ移動したときと同じソフトベッドだったが、今回の車両の方が古く、エアコンもなかった。どうしてなのかなと少し考えてみてわかった。前のは、一番速い「S 1」列車。超特急列車だった。しかし、今回は「S 7」。ちょっと遅いし止まる駅な数も多い。
 ぼくのコンパートメントは4号車だった。前回の同様、列車の係の人がちゃんと案内してくれた。コンパートメントの中は「S 1」ほどではなかったが、文字通り"ソフトベッド"だった。ただ窓は開きっぱなし。でもこの方が涼しくていい。虫も入ってこない(まあ、いまんとこ)。1部屋に下ベッド2人、上ベッド2人合計4人。ぼくが乗ったときはまだだれもいなかった。
 そして、なんといっても前と違うのはベッドの「下段」だということ。ガイドブックにも書いてあったのだが、上段のベッドはほんとにひま。上からのぞき込むようにしなければ、そとの様子が見えない。でも今回は下段。が、しかし、今回は夜行列車。しばらくして、風景は見えなくなってしまった。ああ、がっくり。
 ベッドの上で荷物をがさがさとかたずけてると、同じコンパートメントに女の子が入ってきた。とてもおとなしそうなヴェトナム人の子だった。が、後でそう言われるまで、ヴェトナム人にはみえなかった。彼女は若いころの天地真理をスマートにした感じの顔だった。ぼくがあいさつすると、彼女もはずかしそうにあいさつをした。列車が動きだすまでぼくたちはほとんど会話を交さなかった。

 「プーーーーッ」

 汽笛の合図と同時に列車はニャチャンの駅に別れを告げた。やっぱり、なんだかさみしかった。が、それと同じくらい、目の前にいた彼女(以下まりちゃん)が気にかかった。
 列車が動き出してまもなく、おばちゃんが弁当箱のようなものを持ってきてくれた。「あれ、切符を買うときにはごはんは付かないと言われたのに、おかしいな?」と思ってなかを見たら、カステラみたいなのとミネラルウォーターが入ってた。「ああ、朝ごはんかな」とぼくは思った。しばらくしてまた、おばちゃんがやってきた。ちなみにおばちゃんといっても、れっきとした乗務員さんで、ちゃんと制服を着て写真入りの名札をつけてた。おばちゃんは再び現れ、ぼくの弁当箱の中のミネラルウォーターを取り、代わりにコカコーラを入れてくれた。まりちゃんが「それは、あなたが外人さんだからなのよ」と教えてくれた。それと、ベッドの下に荷物を入れるスペースがあることもまりちゃんは教えてくれた。正確には教えてくれたのではなく、まりちゃんがそうしてるのを見てぼくが「ああ、そうなってたんだ」と気づいたのだ。これは、ガイドブックにも書いてなかったこと。ぜんぜん知らなかった。
 ぼくとまりちゃんは、その後ほんの少し会話を交わした。まりちゃんは23才。どうやらニャチャンっ子(そんな言い方あるのかな)でニャチャンに家族がいるとのこと。ホーチミン・シティで勉強中の学生さんで、ロシア語を勉強しているとのことだった。まりちゃんは自分から多くのことは語らなかったが、車窓からヴェトナムの子どもたちに手を振るぼくを見て「あなたは、ヴェトナム人に対してとてもFriendlyですね」と言ってくれた。ぼくはその日までそんなこと考えたことなかったので「ああ、そうなのかなあ」と思った。
 眠りながら枕を抱いたり、毛布にくるまっているまりちゃんの姿やしぐさはとてもチャーミングに見えた。でも、それと同時になんともいえない寂しさも彼女は持ち合わせていたのがわかった。派手なところはまったくなく、もの静かなまりちゃんの姿を見ていると、列車の揺れにあわせるように、ぼくのこころもなんとなくゆらゆらと揺れていた。

 3、40分くらい走った次の駅でもう1人女の子が乗ってきた。歳はまりちゃんと同じくらいかやや下といったところ。途中っ子はまりちゃんの上のベッドだった。2人はしばらく一緒にはなしをしていた。まりちゃん曰く「(途中から乗ってきた)彼女はあなたのことをヴェトナム人だと思っていたそうだ」とのこと。まあ、この10日間、ひげもそってないしだいぶん日焼けしてて現地に同化してたんだな。でもぼくは、そう言われることがぜんぜんいやじゃなかった。むしろ、ちょっとうれしいくらいだった。そしてぼくはめがねをはずして、ごろりとベッドに横になった。
 しばらくして、途中っ子は上のベッドへ上がった。さらに、ぼくの上のベッドになんだか制服を着たおにいちゃんが入ってきた。たぶん列車の関係者の人があいてるベッドに寝ていいことになってるみたい。これで、ぼくが乗ったコンパートメントはみんなうまった。

 20:00過ぎ。のどが乾いてビールを飲みたくなったぼくは、「すいません、ビールありますか?」と尋ねてみた。すると、「先頭の車両にあるよ」とのこと。ぼくは、売店のある先頭車両まで買いに行くことにした。売店には、ビールをはじめ飲物、ちょっとした食べ物も売ってた。ぼくは、10,000DのTiger Beerを買ってベッドに戻った。売店車両はソフトシートの車両を抜け、ハードシートの車両にあった。
 ハードシートは、"ほんとに"ハードシートだった。それこそ、そこらへんの公園にある木のベンチと一緒。うーん。たしかにこれはきつい。まさにハードだ。2時間くらい座ってるだけできっとおしりが痛くなるんだろう。それに比べソフトシートは、これもまた文字通り、ややソフトだった。でも、やっぱりこれで1晩はちょっときつそう。それでもみんな結構よく眠っていた。
 正直いって、ベッドでよかったと心底思った。フエの駅で切符を買うとき、英国人の若者が「いすの席はきついからやめといた方がいいよ」と言ってた意味がようやくわかった。
 列車は真っ暗闇を切り裂きながら、南へ、南へと走っていった。

22:00。
 まりちゃんは、もう、眠っていた。そして、ぼくも眠った。


第五章 その1へ続く
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