「Viet Nam 日誌」
ふくちゃん vol. 3-5

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第1部 Viet Nam 日誌
第3章 慣れはじめたぼく (5)最悪の続き、それにボートツアー 

7月12日 土曜日 快晴 暑すぎ ホーチミン・シティ

 また、くそ暑い中、ちゃりでフエ市街へ。ほんと、なんで今日はこうなんだろう。もう、フエなんか大嫌いだ。もう一刻もはやくニャチャンへ行きたい。でももう14日の電車のキップを買ったので、あと1日は我慢しなければならない。そう思いながらホテルの近くまで戻る。昨日夕食を食べたカフェでレモンジュースを飲む。宿の近くに戻ってきて安心したのか、2杯も飲んだ。しかし、よっぽどのどが乾いていたのか、ホテルに戻り、思わず缶ビールをごくり。ああ、うまい。でも、すこし休憩して、17:00までにもう1度「子どもの家」の事務局へいかないと。何があっても、みんなから送ってもらったお薬をこのまま日本へ持って帰るわけにはいかない。このお薬には、ぼくの思いだけでなく、みんなの思いも込められているんだ。それに、あしたのボートツアーの申込みもしないといけない。でも、ちょっと疲れてるから、しばし昼寝。時刻は15:30。

 さて、と起きてお薬を持って事務局へ。ガイドブックにはいちおう17:00までOpenと書いてあるんだが…。しかし、よく考えてみれば、今日は土曜日。そして、明日は日曜日。ああ、なんという無計画!ヴェトナムに来てすっかり曜日の感覚がなくなってしまっていた。しかも、ぼくは、月曜日の朝の電車に乗らなくてはならない。かすかな望みを胸に事務局へ…。
 しかし、そのかすかな望みも見事に打ち砕かれてしまった。残念ながら、事務局はClose。ああ、だめだ。ぼうぜんと立ち尽くしていると、午前中そこにいたおっさんがまだいた。おっさん曰く、
「そこに日系の旅行代理店みたいなとこがあるから、そこで聞いてみな」とのこと。おそるおそるノックしてみる。
 中には男女、それぞれ1人が事務仕事をしているみたいだった。まず、日本語を話せるかどうかを聞いてみる。しかし、だめだったが、だが「英語は話せる」と言われ、ぼくは、たどたどしい英語で説明を始めた。
「実は、ぼくは東京からここに観光で来たんですが…、これを小山さん(事務局の代表の方)に渡して頂きたいたいんですが…」と事情を説明する。ぼくの応対をしてくれた人はTarさんという女性の方だった。Tarさんは、ぼくの言いたい事がどうやらわかってくれたみたいで、ぼくの持ってきたお薬と、その場で小山さんにあてた手紙を預かってくれた。
 とりあえずこれで、大きな肩の荷物がひとつ降りた。ぼくは、Tarさんに何度もお礼を言った。
そのあとぼくは、ちゃりんこを返しにいった。約束の時間は18:00だった。まだ17:30ころだったが、ぼくの泊まってるホテルから少し離れたとこで借りたので、早めに返した。自転車を返しにいくと、奥の方から、借りたときの少年が出てきた。ぼくはありがとうと言った。少年は笑顔で「No Problem」と言った。
 今度は、笑顔で握手をして別れることができた。

 そのままぼくは、歩いて旅行代理店に行った。明日のボートツアーに申し込むためだ。代理店はフンブオン通り沿いにいくつもあった。ぼくの入った代理店には、朝6:00に出て18:00に戻ってくる18$のツアーと、8:00に出て15:00に戻ってくる3$のツアーがあった。ぼくはもちろん、後者の方を選んだ。
 ツアーの申し込みは、まったく問題なくすることができた。お金を払って「じゃあ、あしたの8:00、ここにきてね」。それだけだった。ぼくは、旅行代理店を後にした。
 この時点でだいたい18:00すぎ。もう別にすることはない。じゃあ、切手でも買いにいくか。とまた、歩いて郵便局をめざす。ぼくは、ほんとに郵便局は好きなのだ。そして、郵便局へと向かうさなか、何となくきらびやかな建物を発見した。
 そろり、そろりと建物へと近づく。実はこの建物、なんとスーパーマーケットだったのだ。ホーチミン・シティでミニマート(コンビニみたいなの)は見かけたけど、こんな立派なスーパーマーケットははじめてだった。
 そろり、そろりと中に入ってみる。中にはほんとにいろんなものが売ってた。しかし、不思議なことに、パンとか、お惣菜みたいな食べ物は売ってなかった。きっとまだ、加工した食品を保存しておく技術やノウハウがないんだろう。まあそりゃそうだ、だって食べる分だけ作ればいいんだから。
 まあそれにしても、あるわあるわ。懐中電灯が10,000Dぐらいで売ってた。安い!その他、アイロン、ホットプレートみたいな電化製品から化粧品、酒、衣類まで。
 ぼくは、スーパーを見てまわるのが好きで、ずいぶんそこで時間を食ってしまった。そこでぼくは、いろいろと買い物をした。そして、なんとヴェトナムに来て初めて、レシートをもらったのである。買い物してる間に外は真っ暗。切手を買ってそそくさとホテルへ戻る。また、迷子になるとまずいからね。


7月13日 日曜日 晴れ

 7:00起床。今日はボートツアーの日。でも、昨日スーパーで買ったへんなワインのおかげて少し頭がいたい。でも、8:00までに旅行代理店にいかないと。日本から持ってきたカロリーメイトをかじって出発。フンブオン通り沿いにあった旅行代理店は、どこも店のつくりが似ていて、ぼくははじめ違う代理店の中に座ってツアーを待っていた。途中で(なんか違うな)と思い、そこを出た。でも、ちゃんと申し込んだ店にたどりつくことができた。ああ、よかった。
 ツアーを待っているとき、ホテルのフリーザーに凍らせてきた水を忘れてきたことに気づいた。もう遅い。いやーしまった。でも、やっぱ水がないときつい。すぐ前の売店に走る。すいませーん。水ちょうだい。かちかちといかないまでも、少し凍ってた水が売ってた。

「いくら?」
「Two Thousand」
「え、20,000Dもするの?ちょっと高いな」

 まあ、背に腹は代えられない
 そして、50,000D出す。そうすると、おつりか40,000D以上返ってきた。え、なんだ、ほんとに2,000Dでよかったんだ。ぼくは、2,000Dはいくらなんでも安すぎると思い、20,000だと勘違いしていた。だって、2,000Dっていったら、20円くらいだよ。でも、ちゃんとおつりは返ってきたのだ。
 ヴェトナムでは、「ゼロ」が多いのでたいへん。「やられた!」と思うこともあれば「え、それだけでいいの」と思うこともある。今回は数少ない後者の方。
 でも、よかった。今日は昨日と違い、なんとなくついてる感じ。

 8:00。ツアー客はみんなぞろぞろとフォン河に向かって歩きだした。小型ボートのため、一隻のボートに8人しか乗れなかった。ぼくは、ちょうど9人目になり、「あ、あとのボートね」と言われた。ぼくは、2台目のボートの先頭だったので、向かって右側の一番奥へ乗り込んだ。

 ぼくの前には日本人らしき人物が座っていた。おそらくその前は中国人(しかしそれは間違い。後でわかるが日本人)、あとは欧米人たちだ。ボートは上流に向け出発。上流を見ながら右手をながめ「ああ、この道は昨日必死になってちゃりんこで走った道だな」と思い返す。でも、ちょっと待てよ。その道沿いをボートが走ってるということは…。まさかまた、あのティエンムー寺に行くんじゃあないの…。
 そう、その通りボートは昨日ぼくが来たティエンムー寺に着いた。

 えーーーー。またこの寺かい!
 よっぽど縁があるのかなあ。でも、いやだ。だって、昨日あんな暑いなか、大変な思いをしてきたのに…。また、来てしまった。しかも今日はらくらくで。もう、見たくない。いやだ。もういい。
 お寺を見るかわりに、ツアーボートの絵を書いた。そして、それをとなりのボートに乗ってた女の子(小学校低学年くらい)に「ねえねえこれ見て」と見てもらう。するとこれがなかなか好評だった。女の子はそれが気に入ったのか、くすくす笑いながら、その絵をお母さんらしき人に見せてる。いやあ、ほんとに絵はいい。どこの国のだれが見たってわかる。写真みたいに現像する手間もいらない。その上ぼくの絵はへたくそときてる。ちょと見ただけではなんだかわからない。でも、よく見てみると、どうにかわかる。そしてみんな笑いながら「ああ、うまいうまい」と言ってくれる。そんなことやってるうちに、ぼくの乗っているボートにはもう、ぼく以外のみんながボートに乗り込んでた。

 「いやあ、すんません。ごめん、ごめん」とおもいっきり日本語でボートのおやじに謝った。おやじは「うんうん」みたいな感じでうなずいた。そのときだった。

 「日本人?」
 一人の青年が声をかけてきた。
 「日本人?」
 「うん、ぼく日本人。いやあ、ヴェトナムに来て初めて日本人に会ったよ」とぼくは話した。
 やっぱり、日本語でいろいろ話ができるということは、うれしいことだった。
 彼は出雲くんという慶応大学の2年生で、1年間休学し、100万円を持ってヨーロッパに飛び、金がなくなるまで旅行を続けるとのことだった。

 彼は、なんとなくのっぺりとした顔をしていた。が、話し口調は実にしっかりとしていて、一言一言にとても説得力があった。久しぶりに日本人と会ったのがうれしかったのか、彼と話をしているのは、とても楽しかった。そしてなにより、彼はぼくの一方的な話をよく聞いてくれた。
 彼はまずヨーロッパに入り、トルコまで行ったところで、一気にカンボジアまで飛び、ヴェトナムに入ったという。
「トルコからカンボジア?すごい移動の仕方だね」と言うと、
「トルコでチケットを買うときも同じことを言われた」
と言ってた。そうだろうな。トルコからカンボジアに飛ぶなんて、聞いたことない。
 お金なんかどうしてるの?と聞くと「常に肌身放さず持ち歩いている」と言ってた。シャワーを浴びるときなんかも、必ず目の届くところにおいておくという。

 そんな話をしているうちに、ボートは次の船着き場に着いた。次もお寺。ここでぼくは、やっとこのツアーが「ボートてめぐるフエのお寺まわり」みたいなやつだということに気づく。でもまあ、安いから許せる。
 お寺までは、船着き場からとぼとぼと歩いて行く。ガイドもいないのに、どうしてお寺が向こうにあるってわかるんだろう。すごく不思議だった。ぼくは出雲くんといっしょにみんなのあとについて歩いていく。15分くらい歩くと売店街があり、お寺があった。
 そこは、Tu Ducというお寺だった。入場料55,000D。いろんな物価に比べ、ここでも入場料はちょっと高い。出雲くんはもったいないから、と入らなかった。まあ、入ってみないとなんとも言えないので、といざ中へ。まあ、平凡なお寺だったが、今まで行ったお寺のなかではましな方だった。というか、初めに行った王朝がひどすぎ。ここは、建物とかもちゃんと(ではないが)存在していた。まあぐるりと適当にお寺見学をしたぼくは、独り、元来た道を船着き場めざして戻っていた。そしてここにも物売りの子どもたちがいた。小学校高学年くらいの女の子が2人、ぼくについてきた。「ねえ、水買って」と。でも、ぼくはNo、Noと断る。その後、ぼくが持っていたペンに気づき「ペンんちょうだい。ペンがないから学校にいけないの」となった。ほんと、ヴェトナムの人は大人も子どもも、日本製のペンを欲しがった。
 そこで、ぼくは考えた。子どもたちにお金や物を与えることはよくないことだ、ということは、解っているつもりだ。もし、ぼくがいろんなところでお金や物をあげると、彼らの心の中には、日本人=お金をくれる人、となってしまう。彼らは自ら働くことより、日本人をはじめとする観光客からものを貰うことに安住してしまう。これは、非常にまずいことだ。
 でも、ペンはお金じゃない。ものと言われればものなんだけれど…、もしかしたら、ぼくがこの女の子にペンをあげることによって学校に行くことができるようになり、もしかしたら彼女たちの人生がより明るい方向に動くかもしれない。現に、ぼくのペンケースの中には、ペンが余っているのだ。No、Noと言って歩きながら、ぼくは考えていた。あげるべきか。あげないべきか…。
 彼女たちが「この人は買い気なし」と見きって戻ろうとしたそのとき、ぼくは、彼女たちを呼び止め、赤いペンを1本だけあげた。「2人いるから、もう1本欲しい」と言われたが、「2人で仲良く使ってね」とそれ以上あげなかった。
 いいことをしたのか、悪いことをしたのか、よくわからなかった。ちょっと、後味が悪かった、そんな感じだった。

 船に戻り、ボートのなかで食事となった。
 メニューは、ビーフンみたいなチャイニーズヌードルとあげ春巻き、卵焼きみたいなの、それにごはんだった。昨日、まともに食べなかった分、すごくおいしかった。ヴェトナムごはんはちょっとぱさぱさ。でも、まずくはなかった。でもやっぱり、日本のお米のほうがおいしい。ごはんを食べたあとも、出雲くんといろんな話をした。彼はマスコミの世界に興味を示していた。ぼくがバイトの仕事の話をいろいろすると彼は「いやあー、おもしろそうっすね」としきりに言ってた。そして彼は「日本へ帰ったらバイト紹介してくださいよ」と言ってた。もしかすると、また日本で会うことになるのかもしれない。
 その後はほとんど昼寝タイムだった。米国人らしき夫婦とぼく以外の日本人は寝てた。フランス人親子(父と息子)は元気に船から外の風景をながめていた。お母さんは本を読んでいた。そして、ぼくは前日の日誌を書き続けていた。旅行してて、時間が経つにつれて、なかなか日誌が追いつかなくなってしまっている。ああ、早く追いつかないと。最近はだいたい1日遅れで追いかけてる。

 船は15:00前予定より少し早く出発したところへ戻ってきた。ぼくと出雲くんとは、橋の近くの交差店で別れた。
 「ぼく、ちょっとまた『支える会』事務局へ行ってくるよ。そのあとはBhin Mhinホテルにいるよ。じゃあ、また」とぼくは、河沿いを事務局めざした歩きだした。だって、いきなり日本からやってきてお薬を置いていくんじゃあ、あまりにも偽善的だし、できることならやっぱり現地で活動してらっしゃる方に会って直接話が聞きたかった…。
 だが、しかし、やっぱり、うーーーーっ、事務局は閉まっていた。そうだよね、だって今日は日曜日だもんね。仕方ない。ホテルに戻ろう。

 ぼくは、ホテルに戻り洗濯をした。洗濯をしながら感じていたんだが、洗濯物を干すひもを持ってくればよかった、ということだった。ぼくは、ちょろいひも、1本しか持ってこなかったのだが、いやあ、洗濯物がこんなに重いとは、知らなかった。
 そしてビールを飲み、うとうととしているとき、突然、ぼくの部屋の電話が鳴った。
 あれ、なんで電話が鳴るんだろう。きっと間違いだろう。でも、出なきゃな。

 「Hello」
 「あ、出雲です」

ああ、出雲くんか。なんだ。わざわざ来てくれたんだ。
「ちょっと待って、すぐ降りるから」
 と、とりあえずお茶でも、と近くのカフェへ。出雲君はコーヒーを飲み、ぼくはビールを飲んだ。カフェでぼくたちは、また、いろんな話をした。大学のことや、日本人の特殊性、また、ぼくのバイトのことなど。

その後、みんな(出雲くんと同じホテルの人たち)でごはんを食べに行くことになった。ぼくと出雲くん、あとボートで一緒だった金八先生みたいな人、それにあと2人だった。出雲くん以外の名前は知らなかった。そして、いろいろ歩きまわった末、結局、昨日もおとといもぼくが行ったレストランにたどりついた。

 金八先生は45才で、金には困っていないという。40で隠居して、旅行ばかりしているという。ちなみに彼は、ボートで出雲くんの前にいた人である。広島氏(ただ、広島の大学に行っるのでこの名前にしました)は、大学の研究員だそうな。大学にいるうちに世界を旅してると言ってた。中国から、ヴェトナムに入ってきたらしい。ちょうど出雲くんと逆。ちなみに出雲くんはカンボジアから入ってきた。
 ヴェトナムは南北に細長い国なので、下から上に行く人と、上から下に行く人がごっつんこする国だそうな。で、この広島氏、話を聞いているとなかなかの強者。中国で野宿をしたことがあるとのこと。そんとき、強盗に会いそうになったそうな。ズボンをナイフで切られ、マネーベルト寸前までいったとのこと。
 もう1人は、プノンペン氏。この人はもう、ぜんぜん日本人には見えない。とりあえず、アジア人、にしか見えない。ちょっとおたくっぽい雰囲気の持ち主。

金八先生は、ずいぶん世界中を旅行してるみたいで、ほんといろんなことに詳しかった。ビールを飲みながらほんとにいろんな話をした。例えば、今日ぼくが子どもたちにあげたぺんの話。ぼくは、ペンを見るたびに「くれくれ」とせがまれた話をした。多くの子どもたちが実は、ペンを売っているかもしれないという話も聞いた。
 ぼくは、金八先生に「もし、ペンが余ってて、ねだられたらどうするか?」と尋ねてみた。すると、先生は「売る。もしくは何かと交換する」と言われた。うーーん。やっぱ、なんでもかんでも、あげるのは良くないのかなあ、と思った。

 とても、楽しい夜だった。
 そして、そこでやめときゃよかったのに…。
 また、ビールを飲んでしまった。
 気持ち良くなって、Binh Minhホテルに戻ろうとしたぼくに、ホテルの前にいたおっさんが声をかけてきた。もう、ほとんどやけくそになってぼくは一緒にビールを飲んだ。それは、ぼくにとってほんとうに楽しい時間だった。ほんとに。

 だが、ああ完全に飲みすぎだ。だめ。
 夜中、気持ち悪くて何度も寝返りをうった。

 ああ、どこの国にいても、飲みすぎはよくないね…。


第四章 その1へ続く
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