「Viet Nam 日誌」
ふくちゃん vol. 1

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第1部 Viet Nam 日誌
第1章 旅立つまで 6月18日 水曜日  晴れ 東京

今日で国会は会期末だった。永田町は、会期末独特のまったりとした雰囲気に包まれていた。どうしてこんなことを書くかというと、ぼくの仕事は、新聞社でのアルバイト。国会開会中は国会記者会館でいろいろと雑用をこなしている。 そんな、永田町の空気とは関係なく、ぼくは、明日も国会勤務だ。「だれかしばらく記者会館にいれくれ」とのこと。会期末もぼくには、あんまし関係ないみたい。 天気は、朝は曇りで、昼すぎから雨。ぼくが住んでいるアパートの裏の田んぼにも、水が入って、いかにも梅雨という感じ。かえるが、ここぞとばかりと鳴いてる。かえるは、雨が好きなんだな、きっと。ぼくは、かえるは好きだけど、雨はあんまり好きじゃない。


 ぼくがお世話になった旅行代理店は、新宿にある大手代理店だった。そこでは世界各地の旅行をあつかっていた。店内には、たくさんのカウンターがありそれは地域ごとに分かれていた。ぼくの目的地はヴェトナム。初めて代理店に行った日、ぼくはタイやマレーシアなんかと同じ「東南アジア」のカウンターに行った。ところが、「ヴェトナムはここではなく別のフロアになる」と言われた。で、そこへ行き「スイマセン、ヴェトナムに行きたいんですが…」と言うと「ヴェトナムはあっちです」とのこと。係の人が指さしたその先には、こんな文字が…


「秘境コーナー」


 え、ヴェトナムって秘境なの?そのときから、ぼくの動揺は始まっていた。


 今日旅行代理店に行ったのは、夕方の5:30ごろのことだった。ひげをたくわえた、ぼくの担当の内田さんは、たんたんと仕事をこなしていた。すごく愛想がいいわけではないが、特に愛想が悪いわけでもない。ほんとにふつうの人みたいだった。
そんな内田さんが今日、ぼくが申請していたヴェトナムVisasの判子がおしてあるぼくのパスポーを返してくれた。Visasの申請用紙は、ぼくが前回代理店にきて、文字を書き込んだときの状態とまったく変化はなかった。ただ、その用紙はコピーに変化していただけだった。その、へんちくりんなコピー用紙に、ぼくが内田さんに渡した、顔写真が張り付けてあるだけだった。なんてインチキくさい国なんだ!ヴェトナムってとこは。ぼくは、そう感じた。パスポートに押してある判子には、いったい何が書いてあるのか、さっぱりわからないし…。

 
 ああ、えらいことになったなあ。いきなりヴェトナムに行くなんて言うんじゃななかった。せめて、中国とか、バンコクとか日本人がたくさんいそうなとこにしとけばよかった。でも…。もう、遅い。後戻りはできない。いや、もう、こうなったら、行くしかない!飛行機のチケットも取ったし、金も払った。Visasも取った。しかも1万円も払って。よし、いくぞー…。でもー…。

 ぼくは、1度もヴェトナム語なんか耳にしたこともない。いきなり行って宿なんて見つかるのかなあ。でも、代理店に紹介された1泊9600円の部屋なんか泊まれない。絶対に。それなら、宿なんか日本で予約しない方が絶対にいい(はず)…。弱気。 ヴェトナムに行ったら、ウオークマンも、スコッティイのティッシュも、シェリル・クロウの歌も、J−WAVEも、NHKのニュース7もないんだろうな。まあ、仕方ない。行くと決めたんだ。よし、ヴェトナムへ行こう!


6月24日 火曜日  晴れ 東京

 今日はとても暑かった。らしい。ぼくは、国会記者会館の冷房のなかに1日いたので、ほんとに暑いのかどうなのか、よくわからなかった。でも、実際、外に出てみたら暑かった。まるで、梅雨じゃないみたい。ほんとに、梅雨のなか休みの代表選手みたいな1日だった。仕事もきっちり16:00で終わってしまった。 時間もあまってるし、さあ、どうしよう。 あ、そうだ、1度ヴェトナム大使館へ行ってみよう。よく考えてみれば、ぼくは、ヴェトナムの街の地図を1枚ももってない。大使館に行けば、ホーチミン・シティの地図くらいあるだろう、と、思いたってでかけた。


 大使館はたしか、代々木八幡にあったはず。ここ(国会議事堂前)からなら、千代田線1本で行けるはずだ。ちょうど都合がいい。よし、どうせひまだし、ちょっと行ってみるか。 ぼくの頭のなかの大使館といえば、まず、思い浮かぶのが、カナダ大使館だ。 あれは2年前(だったかな?)、友人・まっちゃん(高校時代からの親友)とカナダ旅行を思い立ち、何度か足を運んだところだ。あとは、虎ノ門にある、米国大使館。あの、すごくでかいやつ。


 ぼくは、カナダ大使館のイメージをひきずりながら、ヴェトナム大使館を探した。まだ真夏になる前の"夏もどき"の陽射しが降り注ぐ日のできごと。 千代田線の代々木公園の駅を降り、大使館へと向かう。ガイドブックのコピー片手に、大使館を探す。しかし、なかなか見つからない。歩いても歩いても見つからない。夏前の陽射しが肌に突き刺す。痛い。ふと、目の前を見ると、交番見えた。そこには、「初台三丁目交番」の文字が。「ああこの辺は、初台なのか」と思いながら、「どうしようかな、道を聞こうかな」と迷う。そこに、現れたる、1人のちゃりぽり。ああよかった。わらをもつかむ思いで声をかけてみた。


 「すいません。ヴェトナム大使館はどこですか?」
 汗をかいたちゃりぽりは、丁寧にぼくに道を教えてくれた。 ありがとう。ちゃりぽり。 ぼくは、ちゃりぽりに教えられた通りの道を歩いた。なんだ、ぼくがさっき来たすぐそばだったんだ、大使館は。でも、これが大使館なの?ぼくの頭の中の大使館は、まだ、カナダ大使館のままだった。


 カナダ大使館は青山にあり、すごく長いエスカレーターがあり、すごくキレイな受付には、カナダ人ギャルが、"Welcome Smile"を絶やすことはなかった。受付には、数多くの旅行者用パンフレットがおいてあり、すべてのものが、ハイセンスで、クリーンだった。それが、それがぼくのなかの大使館だった。
それが…それが……。


 ヴェトナム大使館ははっきり言って"貧相"だった。
高級住宅街の中から突然その建物は姿を現した。敷地の面積は、その辺の金持ち屋敷より、ひとまわり大きいかな、といったところ。中には、公用車らしきものがとまっていた。庭のポールには、ヴェトナムの国旗がひるがえっている。 しかし、ここには、人がいないんだなあ。ほんと。敷地内には、まず、プレハブのほったて小屋みたいなのがあり、正面には「Visas……」の文字と「受付」という日本語の文字の看板があるだけ。しょうがない、ここで、ヴェトナムの街の地図があるかどうか、聞いてみよう。


 プレハブの中には、だれもいない。受付のカウンター(正確には、カウンターらしきもの)に首をつっこみ、「スイマセーーーーン」と日本語で叫ぶ。中には忙しそうにしている、ヴェトナム人のおっさんが一人。
「あのーーー。地図が欲しいんですが‥‥‥‥‥」とぼく。

 そうするとおっさんは、無言で、しかも、まったく愛想もくそもなく、ぼくに1枚の地図を手渡した。その地図には、この大使館までの道のりが示してあった。


ぼくは、あんたの国の地図が欲しいんだ


 しばらく、そのオフィスのようなプレハブのなかにいたが、本国の地図はどう考えても出てきそうになく、仕方なく大使館を後にした。 ぼくの大使館像は、ガラガラと音をたてて崩れ、一枚の地図だけがぼくのズボンのポケットのなかに残った。しかし、ぼくのこころのなかには、地図以外の大切ものが残っていた。それは、日本人とヴェトナム人の決定的な文化の違いだった。 たしかにぼくは、「地図をください」と言った。そして、大使館の人はぼくに地図をくれた。大使館員の仕事はきっとそれでよかったのだ。「違うんだ。あなたの国の地図が欲しいんだ」とぼくは、声に出して言うべきだったのだ。しかし、ぼくはその一言が言えなかった。それは明らかに、ぼくの過失だ。だから、地図を手に入れることができなかったんだ。 ぼくは考えた。「どうして、その一言が言えなかったんだろう」と。ぼくが、日本人で、ほかの国の人に比べ、はっきりと物事を言わないからなのだろうか。しかし、答えらしきものは、見つけだすことはできなかった。 なんだか、くやしかった。


 敵(?)はやっぱり、なかなか手ごわい。
 ひとり旅なんてできるのかなあ、こんなことでつまづいてて。
今度こそ、今度こそは…。


 7月3日 木曜日 晴れ 東京

 とにかく暑い。まるで、梅雨が明けたみたいだ。いや、もしかしたら、もう、明けてしまったのかもしれない。とにかく、暑い。 ホーチミン・シティもこんなに暑いんだろうか?今のぼくにはわからない。いくらガイドブックを読んだところで、その暑さは体験することはできないのだ。 実は、不覚にもぼくはカゼをひいてしまったのだ。普段カゼなんてぜんぜんひかないのになんでまたこんな時期に。トホホ…。出発は7月8日。それまでになんとか治さなければ。
 幸い今日は休み。まず、9:00に起き、朝ごはんを買いに行く力もなく、仕方なしにカップラーメンをすする。また寝て、12:00過ぎにまたすこし食べ、また寝た。しかし、体調が良くなる兆しはなかった。このままじゃあだめだ。15:00に起き、仕方なしに医者へ行った。家のすぐそばにある町医者。ぼくはほとんど病気にならなかったので、その町医者に行くのも初めてだった。
 
 街医者のじじいは「ガハハハハ」と笑いながらぼくの胸や背中に聴診器をあて診察してくれた。
「実は8日からヴェトナムに行くんでそれまでになんとか治してください」とぼくは言った。するとじじいはまた「ガハハハハ」と笑いながら「じゃあ、ヴェトナムへ行く前にもう1度来なさい。おなかのお薬お薬あげるから」と言ってくれた。なかなか好感の持てる町医者だった。ただ、カゼに関しては、あんましまともに診てくれなかったみたい。でも、6種類もの薬を一気に処方された。いやだけど、飲まない訳にはいかない。 

 家に帰って薬を飲み、また、眠った。 でも、その薬が効いたのかすっかりカゼのほうはよくなった。ああ、よかった。


7月4日 金曜日 晴れ 東京

 今日は、旅行代理店に航空券を取りにいった。これで、必要なものはすべてがそろったことになる。もうこれで代理店に行くこともない。航空券はブルーの表紙に「VIETNAM AIRLINES」の文字。HCMCまでの往復と、HCMCからフエまでのチケットだ。お金も支払済み。ぼくは内田さんにお礼を言った。内田さんは「気をつけて行ってきてください」と言ってくれた。

 家までの帰りの電車のなか、何度も何度チケットをながめた。また少し、ヴェトナムに近づいたような気がした。


7月7日 月曜日 晴れ 東京

 連日東京は暑い日々が続いている。そして、今日も暑い。 いよいよ今日は、出発の前日。8:30に起床。まず、郵便局へ。大学時代の友人・おぐからの荷物を取りにだ。自転車で国領にある調布郵便局まで。もう、暑くてふらふらだ。でも、せっかく送ってもらったんだから、ちゃんととりにいかないと。
無事、荷物を受取り、今度は調布へ。スーパーで買い物。お目当ては、南京錠。この前、東急ハンズで1買ったが、ちょっと心細いので、もう1個。と、なんかふらふら買い物してるうちに、もう11:00。ああ、そうそう、あの街医者にいかなくてはいけない。カゼはすっかりなおったが、念のため、いざというときのクスリくらいは処方してもらっといたほうがいいだろう。ということで、医者へ。なんとか午前の診療時間に間にあった。


 しばらく待って、診察室へ入る。ぼくの目の前には、「ガハハハ」のじじい(失
礼、先生)が座っていた。じじいは、ぼくの顔を見て一言、こう言った。

「で、今日はどうしたの」


 え、い、いやあ、あの。えー、あーーー、もしかして、もうぼくのこと忘れました?ヴェトナムへ行くて言ってたぼくですよ。 いろいろ話していくと、なんとなく、ぼくのことを覚えててくれてたみたい。「ああ、ニュース見てて(カンボジアの内戦で)大変なことになったなあ、と、思ってたんだよ」とじじい。ほんまかいな?まあ、ぼくのことを覚えてくれてるかは別にして、ちゃんと、ニュースは見てるみたい。なんだかんだで、クスリは処方してもらえた。


おいおい、脅かすなよ、じじい。


 自分のクスリはもらったが、肝心の薬を買わなければならない。 実は、この旅の大きな目的の中に、フエという街にある、ストリート・チルドレンの保護施設、「子どもの家」に、現地で不足しているお薬を持っていくというのがあった。今朝、郵便局へ取りに行った荷物も友人に声をかけてわざわざ送ってもらったお薬だったのだ。
 ぼくは、ヴェトナムのストリート・チルドレンの現状はまったく知らない。しかし、この地球上で同じ時間を共有している、1人の人間として、どんな小さなことでもいいから、何かしたいという、強い気持ちがあった。 このことを、ぼくの職場のある人に話したところ、「これでなんかクスリを買って、持って行け」と餞別をぼくにくださった。その人のためにも、クスリを買わないと。
 それにしても、ほんとうにありがたいことだと思う。本当に。


 じじいの医院の専属の薬局で買おうと思ったが、「保険がきかないから、ふつうの薬局で買ったほうがいいよ」と言われ、仕方なく近所の薬局へ。


 「子どもの家」の日本事務局へ問い合わせたところ、不足しているクスリの中に、「マーキュロ・クロム液」なるものがあった。ぼくは、それがいったいどんなものなのか、はずかしながら、ぜんぜん知らなかった。
 薬局のおばちゃん曰く。
「中に水銀が入ってるので、日本で製造しても、排水することができないので、売れないのよ…」とのこと。ぼくが買った「マーキュロ・クロム液」も、唯一この薬局に残っていたものだとか。という訳でこれで、薬も買ったし、もう何も買うものはない。ただ、大学のある友人が送ってくれると言って薬がまだ届いていないが…。もう、時間はない。 さあ、いよいよ、出発だ。目覚まし時計は、ちゃんと午前3時30分にセットしてある。明日の今ごろ、ぼくがホーチミン・シティにいるんだなんて、ちょっと、想像できない。当たり前だよね、行ったことないとこなんだから。


 そして、お世話になったみなさん、本当にありがとう!ぼくのわがままに答えてくれて、「子どもの家」にためにおクスリを送ってくれた、まっちゃん(高校時代からの、ぼくの無二の親友)、はねさん、そして、長時間にわたる立ち話しの末、ぼくがぶったおれた原因になってしまった(本当はとても感謝してるんんですよ、本当に)おぐ、いろいろ話しを聞いてくれた、まゆちゃん、ゆきのさん、クスリのことを気にかけてくれた、ふじえちゃん(いずれも、大学の友人)、そして、毎日新聞東京本社、編集総務部のアルバイトのみんな。それに、カメラをわざわざ彼女から借りてくれた。石塚キャップ。そして、カメラを用意してくれた古谷氏。そして、ぼくにヴェトナム行きをさんざんからかったけど、ヴェトナムで着る服をくれた大木理。そして、なにも言わず餞別をくださった、倉重さん。ほんとうに、ありがとうございます。倉重さんからいただいたお金でたくさんのクスリを買うことができました。ほんとにありがとうございました。


 では、行ってきます。みんなの思いを胸に。そして、みんなの思いを、この、ヴェトナムという、わけのわからない国に届けるために…。


第二章 その1へ続く

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