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Travelers Memories | ||||||
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The Battambang Express 1999年3月 |
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| 最新のガイドブックにもいまだに、カンボジアで列車を利用するのはまともな人間のすることじゃないと書かれているが、ゲストハウスのオーナーで長年プノンペンに住んでいるジャックは、長きにわたったポル・ポト占領下ではロシアン・ルーレットのように危険だった列車もやっと安全になった、と保証してくれた。そこで私は、トラック旅行を切り上げてBattambang行の列車に乗るのはいい気分転換になるし、これからタイへ向かうにつけ、勇者気分でカンボジアに別れを告げられる、と考えた。 | |||||||
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カンボジアにおける列車の旅は長い間、悪評惨澹たるものがあった。古臭い線路とエンジンだけがなんとか列車を文字どおり“這わせて”いる状態で、金目のものは輸送中の商品でも乗客の持ち物でも強奪するポル・ポトにとって、列車は長年、格好の標的になっていた。線路上に地雷を仕掛けるというポル・ポトお得意の戦略に備えて、カンボジアの列車は大切なエンジンの前に、いけにえ代わりの貨物列車を接続して運行していた。寛大にも運営側は、地雷攻撃の矢面に立つこの貨物車両を、危険に晒されてもいいという乗客に無料で開放していた!!!それでも、ロケット・プロペラ付きの手榴弾や対戦車マシン・ガンなどの重兵器を用いてエンジンを破壊する、という第二の戦略が待ち構えていた。これらの理由が重なって、大多数のまともな乗客は列車後部の座席を取り合い、座席は前方に向かって徐々に埋まっていく有り様だった。列車はカンボジアで最も安い公共の交通手段だったため、いつの時代にも社会の最貧民層に利用されてきた。プノンペンからBattambangまで、約300km、14時間の旅をしても、客車席の切符の最高額は、現在4500rs(1,25米ドル)。ただし、客車席とはいえ他の東南アジア諸国の最低クラス(3号車)の列車にも劣る。 新たに見つけた席は、おおよそタイの列車の三号車に等しい普通の貨車だったが、電気がないために電灯も扇風機もない。地元客は西洋からの観光客を見るのが珍しいようで、我々二人のために押し合い圧し合いして場所を空けてくれた。しかし、カンボジアの列車の座席は鉄製の肘掛けがちょうど肝臓のギロチンのようで、二人がけに三人座るのは土台無理な話だ。そのため、我々は日がな一日、3人のうち1人が煙草を吸うかおしゃべりするかただただうろつきに出て行くよう、即席のローテーションを作った。すぐに検札がやってきたが、私をどう扱っていいのやら途方に暮れているようだった。彼は私に行き先を尋ね、少なくとも私が自分の行く先を把握しているのに満足して行ってしまった。そんなわけで、私は地元客よりも安く上がった旅を続けることになった。 頭上の棚に荷物を仕舞い込み、同席した親しげな一家を完全に信用して、私は暑さにやられる前にすぐ次の停車駅で屋根に登ることに決めた。カンボジア人の友が付いてきてくれた、というより貨車から外へ案内してくれた。貨車の最後尾には簡単な鉄製の階段が付いていて、屋根によじ登ることができるのだ。屋根は非常に混んでいて、そこからは接続された貨車がいくつか見えた。2台の"石炭入れ用"貨車は座席もなく、照り付ける太陽の下、屋根も全くないのでとにかく安いのだろう。それからもう見えないが、ちょっと旧式の貨車がいくつか続く。列車はあまりに長く、ただ吐き出される煙だけがエンジンの位置を大まかに示している。 日差しは強さを増し、鉄製の屋根に乗っているとフライパンで焼かれる卵のような気分になるので、次の停車駅で我々は席に戻った。下へ降りていくと、宴が始まっていた。誰もが、14時間にも渡る狭苦しいピクニックに備えて準備万端だった。私は前夜セントラル・マーケット(中央市場)へ出向いていたことを嬉しく思った。なぜなら、その宴に加わってバナナやマンゴやライチ、ジャックフルーツを差し出して米や鳥肉や卵、大きなサトウキビの塊などと交換してもらうことができたからだ。食料売りは絶えず乗降を繰り返して、宴を繰り広げる群集に想像できる限りの口直し、つまり甘味や冷たい飲み物を売りつけるのに精を出していた。それらは高い日差しと気温でオーブンのようになった車内には欠かせないものだ。特に、頻繁な予定外の停車で車内の空気の流れが止まるため、窒息寸前になる。 道中の景色は非常に気持ちよく、時々現れる丘を背景に乾燥した稲田と点在する椰子の木が広大な平野に広がっている。列車はやりきれない暑さの中をゆっくり、ガタゴトと進むのだが、木造の掘っ建て小屋の塊みたいに崩壊寸前の駅で何度となく停車した。無為単調な時間が過ぎ去っていくうち、景色は変化しタイ・カンボジア国境の南部を形成するCardamon山脈の最西端に近づいた。この日の午後まで、屋根からの眺めを楽しむことができた。ただし、列車が進むと斜めに覆い被さっている数々の枝が襲ってくるため、常に片目で警戒してなくてはならなかったが。 日没はすばらしいものだった。Cardamon山脈のシルエットにちょっと隠れて、空と雲は、赤赤と燃える太陽を受けてやわらかな色に染まり、広大な色の配置を変化させていた。夕日が静かに沈むと私は貨車に戻ろうとして完全な闇に包まれた…電気がないのだ、明かりがない!私は"私の家族"に躓きなんとか座席に戻ったが、突然列車がしばらく停車したため、熱い停滞した空気に襲われて屋根に引き返すはめになった。屋根の上には2、3人の兵士がて、見えない相手と携帯用無線電話で連絡を取り合っていた。私たちがまた動き出すと兵士達は姿を消し、曖昧な警戒心がまだそこにあるようだった。この時には数え切れないほどの星が漆黒の夜空に輝いていた。残りの旅の間、本当に思い出深い旅に終わりを告げる流れ星、頭上の空を屋根に寝っ転がって見上げていることができた。我々は8時30分ぐらいにBattambangに到着した。やることといえば教えられた2つのゲストハウスのうち1つを探し出すことだったが、私はこの日の体験を更に広げようとするしつこい申し出を辞退し断る前に、もうフルーツシェイクを味わうだけの体力しか残っていなかった。 Battambang特筆すべきことのない、典型的なカンボジアの一都市で、大きな中央市場を取り囲むように、崩壊したフランス植民時代の建築物がStung Battambangの最も面白い見所は郊外にあるため、私は一日バイクを借りた。先ず、Battambangから西に12キロ、Pailinに向かう道路にある大きな丘、Phnom Sompouで足を止めた。山頂の塔からは全景が得られ、周囲の田園や丘や山々までが、そこかしこに見えた。また、その山にはキリング・フィールドの記念碑が在り、石灰石の崖や洞窟の自然の美が、ポル・ポトによって原始的な殺人の場に使われたという現実味の薄い伝説を思い出させた。Battambangから別方向に10キロ行った所には、Ek Phnom寺が、古典的なKhmer式で建てられている。修繕されたことはなく、寺は文字どおり廃虚と化していて、母なる自然が再びはびこるのを許していた。だがそれはもっと穏やかで、落ち着いていて、Ta 宿泊施設−Battambang 見所 上記の場所へは、バイクをレンタルして日帰り旅行することを強くお勧めする。ただし、道に迷い、人に道を尋ね続ける事をいとわないなら、という条件付きだが。 Battambangには、GPOそばの川沿いに小さな美術館があり、開館時間は月-金曜の8-11:00, 14-17:00 銀行 食べ物 交通 郵便・電話 Copyright |
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