97年夏物語
BY 菊正敏

再びダナンからホーテチミン

(97年7月27日〜8月6日)

目録

97年夏物語
ドキュメント1
1.千歳関空は...
2.DMZツアー
3.ドン・バ市場
ドキュメント2
4.フエ病床物語1日目
5.フエ病床物語2日目
6.フエ病床物語3日目
7.ダナンからホイ...
8.再びダナンから...
9.最後はツアーだ

98年冬物語

初めに

4日、午後2時、飛行機でホーチミンに戻るためダナンに向う。ホテルで待っていると車が来た。車といってもすごい代物。日本では完全に廃車になっている。アメリカ製?20〜30年前のスゴイやつ。「これか?」「そうだ」「……」。これで一人10ドルは高い!と思いつつもタイム・イズ・マネー、しかたがない。中年ドライバーに「我々二人だけか」と尋ねると「いや4人だ」とかえってきた。途中のホテルでフランス人夫婦を乗せた。彼らもまた驚きの表情だった。車のシートは破れ、内装もあちこちへこんだり汚れていたり、皮がはげていたり…。それでも結構スピードは出る。約1時間でダナンにつく。やはりダナンは違う。都会だ。ベトコム銀行では日本円が使えた。

8月5日、昨日のドライバー氏に斡旋してもらったホテルに荷物を預け、午前中は対岸ヘフェリーで渡る。今日も日差しはきつい。対岸に渡っても特に何があるというわけではない。午後のホーチミン行きの飛行機までは時間もあり、といって遠くにいける時間でもない。とにかく渡ってみた。料金は外国人料金で約2倍。フェリーには自転車、バイクはもちろん生活物資をたくさん抱え込んだ人々が次々と乗りこんであっという間に満員となる。船の中でここでも食物屋が商売を始める。船は5分ほどで対岸に着く。ここはミーケ・ピーチに行く観光客が利用するようで、我々が降りるとバイクタクシーならぬ“自転車タクシー”のおじさん達から「ビーチまでどうか?」と何度も声がかかった。自転車の後部座席には座布団がちやんと用意されている。「なるほど…」。20〜30分ほど街を見て再びフェリーで戻った。

ホテルに戻り荷物を受け取る。わずか一泊だが仲良くなったフロントの気のいい青年と別れを惜しんで写真を撮る。空港への車も彼に頼んでおいたので、彼の友人の“白タク”が飛行場まで運んでくれた。後で二人でドルをわけるのだろう。まあいいか。いろいろ親切にしてもらったし。14時過ぎ飛行機はホーチミンヘ飛びたった。

旅の最後のホテルなので、今夜は少しいいとごろに泊まりたいと思っていた。空港を出た我々はとりあえず、いつも泊まっている安宿街ファム・グー・ラオ通りヘタクシーを走らせた。

いいホテルといっても50ドル、100ドルも出すのは惜しい。結局30ドル前後で85年オ一プンで2度改装しているヴィエン・ドンホテルに決める。ロビーは日本の普通のホテル並みで、アオザイで着飾ったフロントの女性も数人働いている。部屋はツイン朝食付き35ドル、安い部屋は無いという。そんなことは無いはずだが‘金持ち”の日本人が泊まるといことでそうなったのか?まあいい。我々は部屋に案内された。さすがに35ドルは違う!廊下もきれいだし、部屋に入るとシーツはバリッと真っ白、きれいなカーテンとカーペット、バスタブにバスタオル、石けん、シヤンプー、リンス付き、もちろん冷蔵庫・TVはバッチリ。思わず「さすが35ドル」と感嘆の声をあげる。5階なので眺めがいいのはもちろんだ。ホーチミンの発展ぶりがここから垣間見れる。あちこちでビルが建設中で、目の前には近い将来大きなショッピングビルが立つであろう空き地が広がり、もう5,6年もたつと街並みの様相は大きな変貌をとげるだろう。このホテルただ一つ難点は、5階といってもやっばりバイクの音がうるさいことだ。ベトナム人の朝は早く、4時、5時からバイクで出勤も珍しくない。バイクの音が目覚まし代わりだ。次の朝、やっぱり私はバイクの音で目を覚ました。もちろんワイフはまだまだ夢の中。


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