97年夏物語 vol.6
BY 菊正敏

初体験「フエ病床物語」
3日目

(97年7月27日〜8月6日)

目録

97年夏物語
ドキュメント1
1.千歳関空は...
2.DMZツアー
3.ドン・バ市場
ドキュメント2
4.フエ病床物語1日目
5.フエ病床物語2日目
6.フエ病床物語3日目
7.ダナンからホイ...
8.再びダナンから...
9.最後はツアーだ

98年冬物語

初めに

3日目さあ:出発た
朝、6時15分過ぎ、ドクターが来た。さっそく血圧をはかると145-90で何とかOKがでた。「気をつけていけよ。何かあったらホーチミンで病院にいき、この診断書を見せるように」。そして支払い。「いくらですか?」「50ドル」。実はこの時我々はたいへんな“ドル欠”であった。日本円はあるものの、ドルが90ドルくらいしかなく100ドルとか200ドルを請求されたらどうしよう?なんて2〜3日前から真剣に心配した。この日は日曜日。前日銀行で十分なドルを両替し損ねた我々はヒヤヒヤものだった。海外旅行保険書にドクターからサインをしてもらう。私が生まれて初めて海外旅行保険を使う日でもあった。

ホテルのスタッフにお礼したり、一緒に写真を取ったりしてしばし別れを惜しんだ。7時50分、ダナン、ホイ・アン行きのマイクロバスがホテルに到着。5泊6日にわたるフエを後にした。
ダナンからオホイアンへ
ダナンヘ入る。ダナンは人口90万人の商業都市。ベトナム戦争当時、米軍基地があった所としてよく知られているが、実は4世紀より1000年くら続いたチャンパ王国の拠点として栄えていた。郊外にはインド文化の影響を色濃く残した寺塔や石像が数多く残っているミ一ソン遺跡がある。我々のツアーの案内にはダナンはそのまま通過するのだが、他の外人さんたちが「チャム博物館にも寄ると聞いているから寄りなさい」とドライバーに抗議している。結局、チャンパ王国の芸術品が展示してあるチャンパ博物館へ到着。なかなか見応えのある博物展示で、古代インドの流れをくむ石像が主流だ。世界的な遺産のを吹き抜けの展示室で見ることができ、大変気持ちがいい。
バスは午後1時頃ホイアンに着く。ガイドブックで「アオザイの女性が迎えてくれる」と紹介されていたタイン・ビン・ホテルが近くあり、さっそく“ボーイ"がドアの所まで荷物を運んでくれた。エアコンはないがホットシャワー・ファン付の15ドルの部屋に決めた。部屋の天井は高く、スイッチをいれると大きなファンが心地よい風を送る。結構広く清潔で、ロケーションも街の中で便利だ。
ホイアンはダンから南東に約30kmの所にある、約180年前の姿を今に残すノスタルジックな町である。チャンパ王国時代からグエン朝にかけての東西交易の中継地点でもあり、16〜17世紀には御朱印船に乗った日本の貿易商人も訪れ、一時は日本人街を形成したこともある。
昼食にホイアン名物の「カオラウ」を食べにいくことにした。ホテルの近くの「カオラウ」と書かれた看板のある店に入る。「カオラウ」とは腰のあるシコシコ冷やしうどんに濃いツユが入り、チャーシュー・モヤシ・何かの葉がのせてある。それだけでは普通のうどんだが、加えて日本でもよくみられる大型の薄焼きせんべいがついてくる。このせんべいを細かくわりうどんに混ぜて食べるのだ。ベトナム版せんべい入り冷やしうどんという感じか。味はまずまずというとごろか。
街自体は小さいので主な所だけ見るなら2時間もあれば十分だろう。現在残っている古い街並みは日本人が鎖国で来なくなった後、移住してきた華橋たちよって創られたもので、寺院も家の作りも中国風のものがほとんどである。ホーチミンのようなバイクの騒音や街の喧騒はない街。久しぶりにのんびり歩いてみると、ホテルの近くに絹織物・、綿織物の商店があった。すぐ係の女性が来て案内を始めた。中では多くの女性が織物機に向かってリズミカルに手や足を動かしていた。2階では小物から服まで賑売しており、観光客が品定めをしていた。ワイフも気に入ったものがあったのだが、例のドル不足で「銀行で交換できたら明日来ます」と言って店を後にした。しかしはたしてこんな小さな町で日本円が使えるのか心配である。


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