97年夏物語 vol.2
BY 菊正敏

17度線、DMZツアー
〜激戦地を行く〜

(97年7月27日〜8月6日)

目録

97年夏物語
ドキュメント1
1.千歳関空は...
2.DMZツアー
3.ドン・バ市場
ドキュメント2
4.フエ病床物語1日目
5.フエ病床物語2日目
6.フエ病床物語3日目
7.ダナンからホイ...
8.再びダナンから...
9.最後はツアーだ

98年冬物語

初めに

1954〜75年当時、ベトナムは N17度で南北に無情に引き裂かれていた。DMZとはその軍事境界線のあった帯状に広がる非武装地帯(Demilitarised Zone)である。ここは当時のケサン米軍基地や映画「ハンバーガーヒル」でも知られている激戦地ハンバーガーヒル、そして南ベトナムヘのゲリラ支援の補給路としても有名なホーチミン・ルートが山中に延びていたことでもその名が知られている。

30日、朝6時頃、ツアーバスといっても小型の車両だがホテル前に到着。我々を乗せた後も、いくつかのホテルで客を乗せていった。ツアー指定の小さなレストランで簡単な朝食をとった後バスは国道1号線を北西にひた走る。このバスよく見ると韓国製の中古でスピードメーターは止まったまま。でもまあいいか。ここではあまりにもささいなこと。
統一鉄道を左に見ながらバスは国道を走り去る。畑、水田の景色の中をバスはさらにスピードをあげる。時々見られたむきだしの白い土壌は石灰岩なのか?約1時間半後、バスは国道を左折し国道9号線に入る。とはいっても未舗装の部分が多く、バスはスピードを落とし、ガタガタと左右に体を振りながら進んでいく。このままいけばラオスとの国境だ。9時過ぎ、最初のストップ。ベトナム戦争時代の米軍基地(海抜230mの山頂)。ロックバイルが見えてくる。付近は小高い丘が連続してつらなり、高床式の農家が点在している。さらにバス9号線を南西に進むとタク・ロン橋に到着。ここから道路は二手に別れており、山の中へはホーチミンルートが続く。橋の手前でバスを降りるがここでも観光客目当てのもの売りがどっと我々を襲ってきた。歩いて橋をわたり、近くの少数民族の村を見学。子供達をはじめ村の人々が集まってくる。ただ観光客慣れしてるというか当然というか、タバコを吸っているお婆さんをカメラに収めようとすると、このバー様しっかり「マネー!」を要求する(ちなみにベトナム語でお婆さんのことをバーという)。これには興醒め。恐らくこのこの村はツアー会社と契約しているんだろう。

雨が降り出す。バスは次の元米軍基地、ケ・サンをめざす。雨はだんだんきつくなってきた。バスは山中の緩やかな坂を登っていく。左右には熱帯性の植物が繁茂し、またラトソルと呼ばれる赤い土壌が雨でべとべとになっている。バスを降りて今度はコーヒー畑の脇道を15分くらい歩く。サンダルはドロだらけ、頭はベショベショ、最悪の見学日和となった。ケ・サインはとりたてて名残跡はなにもなく、大部分が今通ってきたコーヒー畑になっていて、赤みを帯びているコーヒの実も見られた。ここでも雨の中、米軍のバッジやライター(いわゆるニセモノジッポ)、そして砲弾の残骸、雨カッパを売るもの売り商人は健在。すごいパワーだ。

再び9号線を下り、1号線との交わるドン・ハで昼食後、ヴィン・モックの地下トンネルを見学。このトンネルはあの有名なクチのトンネルと違い、戦うためのトンネルではなく、戦争中の疎開を拒み地下に生活の場を求めた住民たちが掘った穴である。我々も懐中電灯片手にこのトンネルを潜ったが、歩く道幅はクチよりは広く感じられた。このトンネルはなんと海岸線まで続いており、中に入って5〜6分後トンネルから出た我々の眼前には青い海と自い海岸線が飛び込んできた。そして言うまでもなく、手に冷たいドリンクを持ったもの売りのおばちやんや子供達が汗だくの我々を待ち受けていた。


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